A010-ジャーナリスト

永生元伸の魅力、日本を代表する「うたうバンジョー弾き」=(下)

 東京・大塚ウェルカムバックで開催された『永生元伸 Just One Night』のライブの翌週、その感動と余韻があるうちに、 永生元伸さんにインタビューした。
 現在63歳で、出身地は青森県・平賀町で、リンゴ園の長男に生まれました。小中高校は同地です。中学生のころ、ビートルが全盛期で洋楽に強い関心を持ちました。当時は、深夜放送に聞き入っていたものです、と自己紹介された。

「わが家はリンゴ農家で、ステレオがなかったので、友人宅で聴かせてもらいました。布団で寝ず、膝を抱え込んで、朝まで聞き込んでいました。長時間だったので、不意に立ち上がれなかった、という記憶があります」
 母はそうした深夜の外出・宿泊にも理解がありました。それが音楽の原点です。中学3年の時に、母がギターを買ってくれました。
「買ってほしい、と粘った記憶は私にはないのです。ギターは格好よいし、うれしかった」
 母親は、熱心な息子の将来に音楽家の夢を託したのだろう。自宅や中学の同級生宅が練習場で、ギターを毎日弾いて学園祭に出演しました。仲間とコンサートやライブをも企画し、数百人の前で演奏した記憶があります、と話す。

 高校2年のときに、「吉田拓郎が弘前で単独ライブを行いました。彼がまだ人気が出る前でした」
 永生さんは会場に足を運んだ。
「ギターがうまい。あのように指を使って弾くのか」
 レベルの高い吉田卓郎のギターを目のあたりにした永生少年は、専門家の弾き方を知った。毎日の練習が楽しく、弾けること自体が嬉しかった。

 東京の大学に入るまえ、3歳年下の弟が農園の跡取りになると決めてから、永生さんは上京した。大学のジャズ研究会には入部せず、独学だった。いまとなれば、「合理的な練習をしていたら」という思いは否定できません、と語った。

 永生さんは卒業まえ、クラッシック・ギターを習っていた人から、「バンジョーを弾ける方を探しているバンドがあるけれど、その仲間に入らない?」
 と紹介されてデキシー・ジャズバンドのプロの道に入った。シェーキーズ(ピザの店)の5~6店舗で、ライブをしてお客に喜んでもらう。一般企業の就職でなく、プロ活動から社会人スタートになったのだ。
 
 オイルショックから、世の中が変わってきた。歌謡曲からフォーク音楽に移ってきた。やがて、ジャズ、グループサウンズが新しい時代を作ってきた。

 永生元伸の経歴として、 
 昭和47年に、シェーキーズで6年間の活動をする。
 昭和58年に、ディズニーランド・オープンのオーディションで、11年間を行う。
 平成7(1995)年に、薗田 憲一(そのだ けんいち)とデキシーキングスに入団を申し込むと、「どうぞ、どうぞ」と快く応じてくれた。そちらと並行し、自分のバンドも立ち上げる。

「バンジョーの楽器の特徴は、トランペット、ドラムなどのなかに入ると、混合音楽で減音し、全体の音量の1割ていどしか聴衆に耳に入りません。余韻がない楽器です」
 バンジョー演奏の永生さん自身でも、せいぜい2~3程度の音になるという。

『うたうバンジョー弾き』として、最近の永生さんはライブをソロで、バンジョーとギターをともに奏でる。ソロをなさる、この魅力とは何ですか。
「バージョンは一般にソロはないのですが、私は歌を入れています。弾き語りができる。それがとても楽しいです」
 吉田拓郎は自分のスタンスでやってきた。だから、未だに色あせないのです。私が『うたうバンジョー弾き』にこだわれるのは、バンド・リーダーの特権ですね。

「リーダーとして、ゲストをお願いに行くと、永生がやるから、良しとする。ありがたいなと思います。逆にお願いされたりもする。ミュージシャンの人間関係が広がっていきました」
 12か年間は固定した5人の同じメンバーでやってきましたから、パーソナリティー、技術がより高くなり、可能性が拡がりました。

 かたや、同一性、単調性にも陥りやすい。今年(2017)2月から、少しずつメンバーを新しく入れ替えていく試みをはじめた。
 皆さんプロアーチストだから、リハーサルは一回であるという。デキシー、モダンにしろ、アドリブでも、本番で自然にながれに乗れる。

 お客さんを楽しませる。選曲とか、工夫とかは?
「プログラムを組むには、約1週間ほどかかります。基本フォーマットは人気が高いものを中心に8割がた決めています。問題はあと2割の選曲です。観客とか、四季とか、諸々の条件を頭のなかにインプットし、意識、無意識を問わず、1週間はたえず考えつづけています。バンドの独自性を出すために、郷里の曲なども織り込み、編曲に務めています」
 毎回、お金を払ってもらい、面白いな、と感じてもらう。プロは一回でも、飽きられたら、次には続かないものらしい。

「編曲とアレンジが、他のバンドといかに違うか、それが勝負です」
 メンバーにはアレンジのイメージをしっかり伝えないと混乱する。プロミュージシャンだから、複雑なアレンジでも、口頭で伝えるだけでも、理解してもらえる。どのメンバーも格好良く、軽妙にこなす。
 本番前に音合わせをする。『これで良いね』。いずれの奏者にしても、あっちこっちで演奏してきている。曲自体の真髄を皆が理解しているという。

 バンジョーの指導者として、後輩の育成はいかがですか?
「希望される方には教えます。まず楽器を買うことです。ギターやウクレレに比べると、バンジョーは高額です。高い楽器だからこそ、止めずに続けられる。バンジョーは4本の絃で音の数が多い。毎日練習することで、よい音色になるし、美しい世界が醸し出せます」

 ギター、バンジョーにしろ、楽器音楽の上達のコツはなにですか。
「諦めず、毎日、弾くことです。技術は、階段状に上達していきます。どうしても、上手く奏でられず、苦しんでいたのに、ある時にふと弾けるようになる。一段上達したわけです。また、横ばった段階が続きます、毎日弾き続けていれば、また不意に「あっ、これだ」と思う。さらに一段技法が上がったわけです」

 将来の目標は?
「都内で、ソロライブのコンサートをやってみたい。ギターとバンジョー、ピアノ、ベースは補助として」
 他には?
「新しいCDを作りたいです。(2018年)1月に64歳になります。そこで、『now、I‘m64』というコンセプトで」
 ミュージシャンには定年がありません。招いてくださる方がいる限り、演奏は続けられる。この先10年は腕も、からだも動くはず。現在の延長線上でとらえたいです、とつけ加えた。
 永生さんはここ30年間は病院に行ったことがない。薬剤を飲まない人生だという。根がのんびりしているからでしょう、とほほ笑んでいた。

 後援会は中学生時代の同級生たちで、ここ10数年来の支援をいただいている。チラシも作ってくれる。青森の同窓生は10年先も、きっと支援を続けてくれるだろう。


 アフリカの奴隷が、17世紀から、バンジョーをアメリカで発展させた。バンジョーを奏でれば、フォスターの曲のように、陽気に賑やかな楽器として人が集まる。ユーモラスに歌う。かたや、ワシントン広場のように哀愁もある。
「楽器の発祥は別にして、演奏には差別はありません。世界中で共有できるのです」
 そのことばは印象的だった。その精神が永生元伸さんの人柄の良さと、幼いころから音楽一筋に生きる精神の根幹につながっているのだろう。
 
                    【了】

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