A010-ジャーナリスト

巨大だな、大胆だな、おどろきの墨ト會書展=轡田隆史

 日本ペンクラブで親しい轡田隆史(くつわだたかし)さんから、書道展の案内状をもらった。2015年11月5日から3日間にわたり、千代田区・ポーラ銀座で開催される「墨ト會書展」だった。

『文字も、わたしたちニンゲンも、自然のいちぶです。漢字やひらがなたちといっしょに、わたしどもは天と地のあいだで楽しく遊んでいます』 と明記されていた。さらに、
『高野早苗さんをかこむ、ささやかな会です』
 とつづいていた。

 この日から、私は東京を離れるので、同日11時の開催時間に出むいた。記帳は一番だった。「えっ、字が下手なのに。書道展でトップに書くの」と躊躇(ちゅうちょ)したけれど、しかたないや、と乱筆そのもので記入した。

 轡田さんの作品をみて、おどろいた。江戸時代に、江戸の大火の犯人で、火あぶりの刑になった「八百屋お七」の戒名だった。『花月妙艶信女 』

 戒名を堂々と筆に書き、さらには堀口大学の「八百屋お七」の詩をつけている。すごい着想のジャーナリスト・文筆家だな、と感心するばかりだった。

  八百屋お七が火をつけた
  お小姓吉三にあいたさに
  われとわが家に火をつけた
  それは大事な気持ちです
  わすれてならない気持ちです

 さらには書と並んで、誕生寺の写真が3枚あった。轡田さんが撮影してきたものだという。
「15歳ではりつけ、火あぶりの刑のお七は大罪人であり、江戸で墓を建てられなかった。墓も位牌もないのは不憫だと言い、両親が何らかの縁で、岡山県津山に近い誕生寺に、戒名と位牌をたのんだ」
 法然の生誕地である。こうした点も教えてくれた。
「当時の住職が、死刑の少女の戒名を与え、位牌を置かせたのです」と轡田さんが説明する。
 
 後の世に、振袖お七が人気となり、展示された振袖が切り取られて持ち去られたことから、今ではぼろぼろになっている、と説明を受けた。

 轡田さんは、早稲田大学のサッカー選手として活躍し、朝日新聞社社会部次長、編集委員、8年間に渡り夕刊1面コラム「素粒子」を執筆した。読売新聞のナベツネが「朝日の素粒子だけは読まない」と言わしめたジャーナリストだ。
 その後、テレビ朝日系の『ニュースステーション』で、久米宏とのコメンテーターを務めた。夜桜などの中継で、記憶にある人も多い。

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