A010-ジャーナリスト

大看板の球団の制裁に甘く、選手に厳しい処分だ=佐々木信也

 75歳まで野球解説されていた佐々木信也さんは、82歳の現在でも、駅の階段を2段ずつあがる、という。実に健康人間だ。佐々木さんの「成功する監督のリーダーシップ」の講演が、11月13日に千代田区の海事センターで行われた。昼の弁当を食べながら、お話を聞く趣向だった。主催者はNOW観光情報協会で、同理事の近藤節夫さん(日本ペンクラブ)から声掛けされて参加したたものだ。

 

 50年間も電波に乗っていた佐々木さんの声は溌剌としていた。 

 幼いころ「病的といえるほど、無口でした」と佐々木さんは語る。小学校の同級生どうしでも、彼はろくに話せなかったと、回顧する。
 82歳でも流暢に講演する様子から、とても信じがたいものだった。野球界に入ったあと、落語家との交流から、会話ができるようになったと語る。
 
 前段の話から、人生最大の想い出から入った。かれは神奈川県の湘南高校(県内有数の進学校)の在学中(1年生)に、甲子園出場した。かれのバンド決勝スクイズが決まり、甲子園出場が決まった瞬間は、いつまでも忘れられないという。

 かれは1年生で強打者でもないし、7番ライトで甲子園に出場した。好打の連続で優勝ヒーローになった。夏休みが終わり2学期に入った初日は、学校にいけば、一躍ヒーローになっていたのでおどろいたという。
 その後、慶應大学~プロ野球「高橋ユニオン」(現・千葉ロッテマリーンズ)に入った。二塁手とした活躍した。新人ながら154試合に全イニング出場した。154試合出場はシーズン試合出場の日本タイ記録。26歳(1960年)のときに、西本幸雄との確執から退団している。

 放送局に誘われて野球解説の道に入った。話し方もうまくないし、「先天的な無口な、お前が解説するなんて、無理だ。止めておきなさい」と言われたほどだった。

 26歳の解説者の佐々木さんに対して、先輩の解説者から、「足で解説しなさい」と言われた。だれよりも早くに球場に行って、隅々を見てまわると、何かしら話のネタがあった、と教示的に話す。

 ある選手が球場に入る前、深々と最敬礼する。その姿に感動した佐々木さんは、それをマイクの前で語るチャンスを待っていた。後日、その選手が良いところでヒットを打った。「球場自体に感謝の念をわすれない、素晴らしい選手だ」と紹介すると、多くの人から、その選手のもとに賞賛の声がとどいたという。
 

 解説歴50年だから、エピソードの引き出しが多い。川上元監督から、怖いもの三つ挙げると、酒、女、ばくちだと言われた。
 そこから、話題が最近の巨人軍選手の賭博不祥事におよぶ。会場からは「このたびの巨人軍の1000万円のペナルティーは安いのではないか、3人を解雇したことで、3000万円以上は浮いたはず。巨人軍は痛くもかゆくもない。むしろ損得から判断すれば、得している」という意見が出た。

「1億円にして、福島に寄付するくらいの裁定はあってもよかった」
 佐々木さんは、会場の意見よりも、さらにきびしい見解を示した。一方で、解雇された選手のひとり福田聡志投手(32)は、奥さんが妊娠中で、3人目の子どもがお腹にいる。野球一筋の人生だけに、今後はどのように生きていくのだろうか。
 かれの将来を考えると、永久追放は厳しい面がある。2-3年でも、良いのではないか。佐々木さんは個人的な気持として同情を寄せていた。

 巨人軍という大きな看板の球団への制裁には甘く、個人への厳しい裁定は不公平だ。驕る巨人軍にたいして、裁定委員は甘い。そうした空気が会場内に漂っていた。

 

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