A010-ジャーナリスト

「山の日」関連の歴史小説を取材中。長野県の地元新聞で紹介される

 私は現在、祝日「山の日」に関連した、山岳歴史小説を執筆ちゅうである。天明・天保時代の松本市と飛彈高山市の周辺取材をはじめてから約一年が経った。この作品は、新しく祝日となった「山の日」を盛り上げる狙いがある。2016.8.11からカレンダーに赤い祭日の印がつく。

 現在、現地で展開する取材のようすが、2015年7月2日(木)の信濃毎日新聞で紹介された。タイトルは『「山の日」盛り上げる歴史小説 執筆中』である。サブタイトルとして、『舞台は上高地や「飛州新道」」としている。

 同記事のなかで、「山の日」が超党派の国会議員連盟によって制定された。そのメンバーから、東京の作家・穂高健一に執筆を勧められたもの。昨年5月から、長野・岐阜の両県で精力的に取材している、と記す。

 作品の背景となる飛州新道(現在の安曇野市三郷小倉から大滝山、上高地を経て、焼岳の肩の中尾峠から奥飛彈に至るルート)に、記事は多くの紙面を割いている。
 新道開削に関わった岩岡家が文化時代に、上高地に湯屋(宿屋)をつくった。主人公は、その上高地の温泉宿で過ごした岩岡家の娘である。
 安曇平(現在の安曇野市)は、荒れ地で水不足で苦しんできた。天明、文化・文政のころに、当時の農民たちがみずから、約20年間にわたる苦労の末に、巨大な15キロにもおよぶ農業用水路「拾ヶ堰」を開通させた。荒廃地が一躍、水の豊かな農耕地帯になった。
 作品はここから書きだす、と同記事で紹介されている。

 掲載の写真撮りは、同年6月17日、松本市・安曇(上高地の麓・島々)でおこなわれた。資料など槍ヶ岳山荘・社長の穂苅康治さんが、同記事のなかで、『小説が「近代登山が始まる以前の地元の歴史や、山の生活が発信される貴重な機会になる」と、出版の日を心待ちにしている』と述べている。

                            【了】

「ジャーナリスト」トップへ戻る