A010-ジャーナリスト

円盤投げの選手から、華麗なる音楽家への道=川島由美(中)

 東京都ヘブンアーティストたちは都営地下鉄の駅構内などでも、演奏活動をする。川島由美さんには演奏者の立場から、第1回「駅ライブ・イン・秋葉原」(主催はJR東日本)は従来(地下鉄駅)と比べて、どうですかと聞いてみた。

「地下鉄駅などでは、ふだんピアノ(ポータブル)を運んできたり、演奏者兼スタッフです。会場はコンコースですから、演奏でお客さんを集めるほどに、かえって乗降客の流れに邪魔になっていないかと、そちらも気になってしまいます。きょうの秋葉原はスタッフがしっかりついてくださり、聴く方の整理をしてくださり、良いスピーカーを使っているし、歌と演奏に集中できました」
 と明るく語ってくれた。
 
 コンサート会場のお客さんはチケットを買ってくるから、どんな曲、ジャンルでも、予備知識があり、じっくり聞いてくれる。駅の場合は、行き交うお客さんの足を止めないと聴いてくれない。その点の選曲について、川島さんに聞いてみた。

「テンポの速い曲でないと、お客さんは立ち去ってしまう、という焦燥感にかり立てられます。しかし、ゆったりした『月の沙漠(さばく)』などは不思議に、集まってくれるのです」
 聴く人は心をクリアし、気持ちを真っ白にしてから、歌に聞き入る。だから、足を止めて集中してくれるのです、と川島さんは解説してくれた。

 たしかに、『アメイジンググレイス』、『翼をください』、『ダニーボーイ』、『花は咲く』など、いずれも郷愁に満ちた曲であった。駅構内で立ち止まった聴き入るひとたちの顔を見ていると、心に邪念がなくなり(童心に戻る)、耳を傾けている表情だった。
「わたしが歌い、その歌が聴く人のものになるのです」
 そう語った川島さんは、30分間の持ち時間内で、最大限に郷愁を提供していた。

 母親の川島温子(はるこ)さんが、よき応援団として観客のなかにいた。どんな娘さんですか、と訊いてみた。
「努力家で、興味津々で、体力があります」
 音楽家の体力とはなにですか。
 高校時代の由美は円盤投げ、槍投げ、砲丸投げの選手だった。記録も持っていますと話す。砲丸投げとソプラノ歌手とはイメージと合わない。
 人生にどんな転機があったのか。


 川島由美さんは中学・高校は陸上部に入り、円盤投げ、砲丸投げ、やり投げを得意としていた。高校1年の千葉県新人戦で第3位になっている。これら競技は体力への負荷がかかるが、彼女はそれを得意としていた。

 しかし、彼女は高2のときにスキーで怪我をした。目標とする陸上競技大会に出場できなくなり、失意から自信を失ってしまった。
「回復が遅れて、精神的なプレッシャーに参ってしまいました。相談を持ちかけた陸上部の指導者からは、選手でなく、トレーナーになる道がある、と言われました。米国に渡り、その勉強をしたら、と勧められたのです」

 彼女は新設の進学校に通っていた。教育実習できた後藤先生(女性)から、「あなたは歌の道がいいわよ」と言われた。
 幼いころピアノを習い、「音楽の耳がよい」とも言われた。それらを思い出し、進路はスポーツでなく、音楽だと決めて受験勉強に打ち込んだ。物事に対する集中力が強い性格らしい。日大芸術学部の音楽科声楽コースに現役で合格した。


 中学時代の陸上部の同級生や顧問の先生たちは、最初はドレス姿で歌うことに驚いていたが、いまは心からの支援者になってくれている、と話す。
 同大学を卒業した後も、音楽の道をひたすら歩み続けてきた。

「身体の使い方には軸があります。円盤投げと歌唱でつかう深部の筋肉は同じです」
 陸上で鍛えた筋肉があるからこそ、こうした音楽活動ができるのです、と彼女はつけ加えた。
 現在の音楽の活動について聞いてみた。        
                            【つづく】

「ジャーナリスト」トップへ戻る