A010-ジャーナリスト

テレビ朝日の取材クルーに同行、被災地・女川を訪ねる(2)

 テレビ朝日『スーパーjチャンネル』のクルーとともに、江島から女川に戻ってきた。被災地・女川の悲惨さが解る、女川町立病院の高台に案内してもらった。
 この高台すらも避難した住民が津波の濁流で波にさらわれているという。
 見渡すかぎり、殺伐とした荒野で、倒壊した建物の一部が、被災モニュメントとして残されている。
「人口比の死者は女川が最も多い」
 吉岡さんから、それらを聞かれた。

 眼下には七十七銀行の廃墟がある。大地震の時、男女14人が勤務していた。このうち支店長ら13人が2階建ての屋上に避難した。(1は帰宅していた)。全員が大津波に流された。1人は海上で救助されている。12人が犠牲となった。
 同銀行の屋上で助けを求める行員の姿がケータイ撮影で残されているという。(私は未確認)。気の毒なかぎりだ。

 同じ地域にあった仙台銀行、石巻信用金庫の女川支店の行員は、全員が山側などの高台へ避難し、無事だった。となると、七十七銀行の支店長の指図が問われてくる。

『なぜ、指定避難場所の女川町立病院の高台(写真・慰霊碑の場所)に避難させず、銀行内にとどまったのか』
 遺族の無念さが裁判になるかどうか、今のところわからない。 

 ※私は後日、気仙沼大島の宮司の取材から、友人の話として、「かれは同病院内の1階で必死に柱につかまって助かった。でも、目の前で、病院内から津波にさらわれていった人もいるようです」と聞いた。そうなると、同病院は必ずしも安全な場所ではない。

 天災が発生した場合、管理職は部下をどこに避難するべきか。その一瞬の判断は難しいものがある。

 その後も、テレビ朝日のTVクルーの取材・撮影が精力的につづく。女川町・高白浜の漁船に乗り込んだ。銀ザケの養殖イケス(八角形)に近づく。鮭は漁船のエンジン音で、餌がやってきたとわかるらしく、イケスの海面で飛び跳ねている。

 過去の銀ザケの餌はサンマのミンチなどだったという。現在は小粒の固形飼料になっていた。

 震災前の女川は日本でも有数の銀ザケの養殖地だった。湾内に目一杯の養殖イケスがあった、と漁師は語る。その分、太平洋の沖からやってくる波が弱まっていた。

「さびしい限りだよ、いまはまわりにイケスがない。だから、風が吹くと、沖から波がダイレクトにぶつかってくるんだ。震災後は雨が降ると、海が濁るんだ。魚が海面に浮いてこない」
 被災地の傷あととして、一言ずつが響いてくる。
 同日は晴れているので写真びよりだった。時おり、飛来するカモメを狙ってハイスピードで撮ってみたりもした。 

  いまは産卵期のカモメらしい。執拗に銀ザケの餌を狙って羽ばたく。
「カモメが多いと、鮭が怖がって餌を食べないんだ」
 漁師が、こらっと怒鳴って、カモメを追い払う。その行為すら、説得力があった。
  女川の漁師たちから、数々の事例が聞くことができた。


 

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