A010-ジャーナリスト

テレビ朝日の取材クルーに同行、被災地・女川を訪ねる(1)

 吉岡忍さん(ノンフィクション作家)は行動派で、積極的な取材をする。3.11の東日本大震災が発生した直後から、東北の各地を出むいている。きょう現在も続く。こうした取材を背景にした執筆とか、講演を行っている。
 私は何度か吉岡さんの講演を聞いたり、個人的に被災地を語り合ったりする機会があった。

昨年11月から毎月、私は陸前高田、気仙沼、気仙沼大島の3か所に絞り込んだ小説の取材活動を行っている。
 他の被災地となると、名取市の閖上に足を運んだだけである。石巻、女川、牡鹿半島も、一度は訪ねてみたい場所だった。ある大学の構内で、そんな考えを吉岡さんに話していた。
 今年3月、吉岡さんから、
「女川被災地にテレビ朝日の取材があるから、一緒にどう?」
 と誘いの声がかかった。良い機会だし、一言返事だった。

 5月6日(日)11時15分に仙台駅に、吉岡さん、テレビ朝日『スーパーjチャンネル』ディレクター、フリーランスのカメラマン、それに私の4人が集合した。
 TV取材のテーマは「銀ザケと女川の復興」である。最初は銀ザケの餌まきのだった。女川市の尾浦漁港に着いたときは雨だった。
 4人は雨合羽を着て、約7トンの漁船に乗り込んだ。私はつねにTV撮影に邪魔にならない場所に移る。一方で、私なりに漁師から取材した、

 2日目は深夜2時に宿を出た。TV取材は「銀ザケの水揚げ」で、同港の岸壁から、夜明け前の3時頃に出航し、沖合の銀ザケ養殖場に出むいた。当然ながら、海は真っ暗闇である。
 サーチライトが照しだす漁網のなかで、銀色の鮭が踊る。漁師たちがウインチを回し、大きな網で銀ザケを一度に数十匹を掬い上げると同時に、氷詰めされていく。実に爽快だった。

「今年は冷温で、鮭が餌をあまり食べず、育ちが悪かった。水揚げは例年よりも1か月半遅れたんだ」
 漁師たちは海水温に影響される、漁の実態を語っていた。

 太平洋の夜明けの情景は感動的だった。

 水揚げされた、銀ザケは女川魚市場にトラックで運ばれていく。TV取材班はそれを追う。
「女川港は地盤沈下で、岸壁が使えないので、陸上輸送しかない」
 関係者はいまだ復興に及ばず、陸送のコストアップを嘆く。

 銀ザケのセリ風景を見た。専門用語だから、どんな値がついたのか、私にはわからない。仲買人の一人に訊くと、今年はずいぶん安値だと嘆いていた。
「水産加工工場は津波で大打撃を受けており、ほとんど機能していない。だから、銀ザケを水揚げしても、買い手が少なく、供給過剰になっているんですよ。そのうえ、風評被害(フクシマ原発)があるし」
 と被災の傷あとが、漁師の収入にも大きく影響していると説明してくれた。

 同日の朝は㈱ヤマホンベイフーズの新工場稼働だった。女川の被災地では、最も早い水産加工工場の稼働だという。テレビ朝日のみならず、地元のメディアなども数多く詰めかけていた。

 TVクルー3日目は新水産加工工場から、大手スーパーへと追い求める予定だった。銀ザケの流通チャンネルは、私の(小説)取材テーマとかけ離れている。
「私は金華山に行ってきます。沖合から女川原発を見たいし……。夜、宿で落ち合いましょう」
 と別行動をつげた。

 TV取材班は急きょスケジュール変更となり、『ヤマホン』山本社長の出身地である、牡鹿半島の沖合に浮かぶ江島(えのしま・金華山に近い)に行くことになった。
 私も金華山行きでなく、江島に同行することに決めた。

 客船の船上から、女川原発を遠望できた。この原発がフクシマと同様な大津波の被害を受けていたならば、東北地方は壊滅的な状況に陥っただろう。そればかりか、日本経済も破局に近い状態になったはずだ。それらを考えると、女川原発を見ながら、ぞっとした心境に陥った。

 江島は360度が太平洋だから、美景だった。島内では最も若い30歳の青年から、島の伝説や大津波の状況などを聞くことができた。
「地震がくる前に、ゴー、という地鳴りがあるんです。そして、地面が揺れる」
 地鳴りについては気仙沼大島でも聞いた話しなので、興味深かった。しかし、実際にはどんな音なのか、表現方法がよくわからない。
 漁師が大津波を予測し、沖に出し「おきだし」についても聞くことができた。それは私が小説のなかでつかうストーリーの一つだから、細かく質問させていただいた。

「ジャーナリスト」トップへ戻る