A010-ジャーナリスト

取材こぼれ話、店名のない美味しい、お好み焼き屋=鞆の浦

 鞆の浦は、瀬戸内海の中心に位置し、江戸時代に発達した、商港だ。帆船時代は潮待ち、風待ちに最適な港だった。

 当時の面影が数多く残る。歴史的、伝統的な価値が高い。鞆の浦港や仙酔島の情景は国内でも最上のものだけに、大勢の観光客でにぎわう。

 医王寺への登り口には、木造家屋の「お好み焼き屋」があった。暖簾(のれん)も店構えもどこか古い。昭和の最盛期に流行っていたような店だ。一見して、観光客あいてではない、とわかる。港に出入りする船員、漁船員たち、それに地場の人たちがお客だろう。

 店内に入ってみた。鉄板の回りでは、地場のおばさん2人がお好み焼きで、昼食を取っていた。昭和時代の雰囲気が読み取れた。
「こっちに座りんさい」
 お客どうしが隣り合わせに座った。

 店主の玉井恵子さんが、鉄板の上で器用にお好みを焼く。彼女の話によると、鞆の浦・元町にはかつて「お好み焼き屋」が7軒ほどあったという。
「この元町では、もう1軒だけよ。うちだけになった」
 バス停近くには観光客あいてお好み焼きはあるけれど、と補足していた。この店を選べてよかったと心から思えた。
 店名を聞いたけれど、特にないと笑って答える。
「はい、どうぞ」
 多めにソースを塗ってもらった。その味が格別だ。

 客人の一人が持参した、巻き寿司(太巻き)が店主に差し向けられた。私にもおすそ分けされた。巻き寿司は鉄板の上に、しばらく置かれていただけに、ご飯(酢飯)がゴワゴワと硬くなっていた。これまた絶妙の味だった。

 私がいまから高台の医王寺、さらに山頂まで登って撮影したい、それが目的で鞆の浦にきたと話す。
「天候がよくないのう。きょうは四国がはっきり見えん」
 3人がともに気の毒がってくれた。
 他方で、医王寺の裏山は子どもの頃は、遊び場のひとつだったと話す。屈託のない、明るい会話がつづいた。
 とても良い雰囲気で、昼食が取れた。お好み焼きの代金が500円だという。
「安いな」
 いまどき広島駅付近のお好み焼きに入ると、店構えがよく、店員の威勢は良く、「広島風お好み焼き」を売りに、800円~1200円くらいは取られる。
 それらに比べると、鞆の浦の名もないお好み焼き屋は、味は勝り、安価で、とても快い雰囲気を与えてくれた。人間どうしのふれ合いが旅先で感じられる。これこそ千金の味だろう。

 食後は山頂(推定標高200メートル)に登り、仙酔島、備讃の島々までの広域写真を狙った。曇天で、遠景は思うように行かない。3時間ほどねばったけれども、満足度は低いものだった。
 しかし、鞆の浦の「店名のない、お好み焼き屋」は美味しかった。


          最下段の写真:右端が店主の玉井恵子さん

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