A010-ジャーナリスト

瀬戸内・取材こぼれ話し=仙酔島

 雑誌社の依頼記事の取材で、鞆の浦、仙酔島に行った。鞆の浦は昨年の暮れから立てつづけに3度だった。同港から「平成いろは丸」に乗り、5分で仙酔島に着く。その島は先月に続いて2度目の訪問だった。

 鞆の浦港の発着所から「平成いろは丸」が20分ごとに出航する。出札口に着いたとき、まさに同船は岸壁のロープをはずし、出航寸前だった。舳先に立つ船員が、私の姿を見、乗せてくれる雰囲気で「乗船券は買っているかい?」と聞いた。
市営の連絡船だし、お役所仕事でなく、親切だな、と思った。
「これから買うけど」
「じゃあ、だめだ。次だ」
 船は定刻運航を優先し、すぐさま鞆の浦港を離れていった。


 次の船便までは待合室のベンチで待つ。ノートパソコンを取りだした私は、撮り立て写真の処理をはじめた。記事に関連する写真を中心に、セレクトをはじめた。ひとたびはじめると、区切りがつかなくなり、他方で、仙酔島へ急ぐこともないし、と次の船便、さらに次の便も、とやり過ごした。
 小1時間ほどで、撮影写真のセレクトのメドがたった。

「平成いろは丸」の乗船券は、待合所の自販機で発券されている。往復券で、片道券は売られていない。鞆の浦と仙酔島には橋はないし、この連絡船だけだけだから、当然だろう。
「帰りは必要ないから」
 その往復券は改札所で回収されてしまった。
 片道は船、帰路は泳いで帰る人はいないのかな、と考えてみた。

 かつてベテラン潜水夫から聞いた話を思い浮かべた。沖縄、九州、紀州から関東沖に流れる黒潮の海よりも、瀬戸内海のほうが海水の温度が低いんだよ、と体感で語っていた。
 瀬戸内海は海水が入れ替わらず、豊後水道と紀伊水道の間で、満ち干きがくり返されている。だから、芸予諸島、備讃瀬戸では右に、左に、と潮が流れている。狭い水路は潮の流れが速い。(水量が同じで、幅が狭まれば、水の勢いが増す)
 これらの二つの点から、鞆の浦と仙酔島の間は狭くて、潮流が早い、海水温が低い、となると、誰も泳いで帰らないだろう、とひとり合点した。

 船内に入ると、龍馬関連の展示とか、操舵とか、羅針盤とか、雰囲気の良いものだった。


 平成いろは丸で渡った、仙酔島は日本で最初の国立公園に指定されている。全島の海岸線は、どの角度から見ても、奇岩と弓形の砂浜とで美観に優れている。
 国民宿舎で、龍馬関連の展示を見てきた。

 島の待合室で、カメラのSDが不調となり、撮影不能となった。ニコン・新宿に電話して原因を教えてもらい、改善できた。と同時に、平成いろは丸が接岸した。乗客が降りてくる。私が荷をまとめている間に、同船はすぐさま出航してしまった。
「まさにとんぼ返りだな」
 私はつぶやいた。

 島の桟橋にはゴミ回収船が桟橋に停泊していた。ライトバンがやってきて、廃棄物を積みこむ。作業員の男性から話を聞くことができた。

 国民宿舎などで出たゴミは、島内で処理をしない。週に2度、島から船で運び出す。真夏は観光客が多いので、3度だという。
 潮風が吹き、船上からゴミが吹き飛び散った。作業員は小さな魚網で海面から、そのゴミを掬っていた。海面に飛んだゴミを放置すれば、海岸線に漂着し、汚くなる。一つのゴミでも逃さない、その姿勢には感心させられた。


 ライトバンのバックナンバーは手作りで『仙酔島99 弁財天』と表記されていた。ユニークだ。島には道路交通法でいう、道路がない。田んぼの中の農機具と同じ扱いだという。

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