A010-ジャーナリスト

【書評】元気が最高のボランティア「元気に百歳」10周年記念号

「元気に百歳」クラブ10号周年記念号が10月10日に発刊される。(代表 和田譲次)。毎年同月に発行し、今回が10号である。
 同クラブは設立が2000年1月1日で、約30人からスタートした。現在は関東、中部、関西、九州の4ブロックで、会員は約300人である。10号の筆者はそのうち77人。おどろくべき比率の執筆者数である。

 50歳代から102歳の会員が、400字詰め原稿用紙で5~10枚ていど執筆している。書く意欲、気力、書き上げる。それらは逞しいものだ。


 巻頭言は日野原重明さんで、「今は百歳を越えないと長寿とはいえない」という。50年前の百歳以上は153人だった。08年は3万6000人余り。多くの人が気楽に百歳が超えられる現実を踏まえ、同書が社会の「星」となり、「長寿者の新しい生き方のガイド」となるだろうと述べている。


 特別寄稿は、ペギー葉山さんで、『歌の力を信じて』というタイトル。彼女の音楽の自分史である。「今春、とてもうれしいことがありました。私のヒットソング『学生時代』の歌碑が、懐かしい青山学院のキャンパスに建立されたのです」と書き出す。歌の中のチャペルは主人と結婚式を挙げたところ、と明かす。 
 1959年の大ヒット『南国土佐をあとにして』にもふれる。「初めは、ジャズシンガーだった私に、『南国土佐……』は抵抗がありました。それが大ヒットするなんて、予想外でした」(原文通り)。
 故阿久悠さんの遺作「神様がくれた愛のみち」は、彼女の歌手生活55年のために書いてくれたものだ、と明かす。名古屋公演の幕が開く寸前に、彼の死が知らされたという。
 歌手人生が力強いタッチで書かれた、読み応えのある内容だ。

(高知県・桂浜)


 ゲスト寄稿としては、岩崎加根子さん『妙高高原 幾星霜』、白澤卓二さん『「前向きな気持ち」が新しい脳細胞を産む』、青木匡光さん『「つや」のある人生を目指して』の三人である。

 同クラブのモットーは「寝たきりで百歳でなく、元気に百歳まで生きる」である。ゲスト寄稿のテーマはそれぞれ百歳への生き方に結びついている。と同時に、具体的である。
「脳を刺激する。ジャンルは何でもかまいません。新聞を毎日読む人は介護を受けにくいことが調査で分っています」(白澤さん)、「生きざま憲法、日常の行動指針、人を動かすふるまい・しぐさ」という分類から各論に入っている。(青木さん)


 101歳の名誉会員である、船越卓さん『白の漫筆―その三』である。書き出しで「十年一むかし、念のため辞海を操ってみた。中略。いずれも仏教か昔の支那の故事に関係ありそうである」と記す。驚きだ。
 藤田賢吾編集長より全会員に、10号記念だから、「ここ十年の素材で」という要請があった。船越さんはまず辞海を手元に引き寄せたのだ。そのうえで、2000年からの、身の回りの出来事を展開している。101歳にして、明晰な頭脳な方だな、長寿の鏡だな、と感銘させられた。

 最年長の平井賢一さんは102歳だ。『ご免ね! 百歳をこえちゃった』というタイトル。最も驚かされたのが、平井さんの写真だ。昨年8月(101歳)に北海道で、白馬に乗った姿だ。えっ、100歳を超えて乗馬できるの、と思わずつぶやいた。

            (写真提供:「元気に百歳」クラブ 広報・クラブ誌編集チーム)


「百歳の声を聞かずに、この世を去った人は、生きようとしないからだと、勝手に解釈している。中略。人間は、生きるために生まれてきたのだと思えば生きるのが当然で、長生きするのは不思議でも何でもない」
 生き方が逞しいので、文体が生き生きしている。
「かつての自分の80歳の頃は、何とか90歳ぐらいまで生きらたらと、全く神頼みの生き方であった。ところが90歳になって、俄然100歳までは生きたいと意欲が燃え始めると、生きる様相が変わってきた」
 このように、一つひとつが力強い。作中の一行ずつ、すべてから勇気がもらえる。全文を紹介したいくらいだ。


 同書は、一般会員において、「10年もくもく」「生きがいさんさん」「人生いきいき」「元気はつらつ」「趣味ゆうゆう」の5つのブロック分けされている。

 1号から10号まで、企画編集は同会員によるもの。知力、体力、行動力の三拍子揃った、「生き方もエリート」たちの作品だと位置づけたい。


問合せ先

企画・編集 元気に百歳クラブ
        メール・syuppan@v100c.org

制作・発行 夢工房:〒257-0028
          神奈川県秦野市東田原200-49
          電話:0463-82-7652
      

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