A010-ジャーナリスト

老・病・死について

 大学時代のゼミ仲間が5名が集まった。今回は学友が一名増えた。それは銀行屋だ。こうして一人ずつ輪が広がることは、うれしいことだ。
 ゼミは約20名だったから、4分の1名が自然発生的に月一回集まり、飲み会を開いているのだ。ほかのメンバーの消息は、北海道と福岡と一人ずつ。簡単にこれる距離ではないから、葛飾・下町の集まりは当座5名で固定するだろう。

 学生時代からの酒豪ばかり。京成立石駅に近い焼鳥屋に入った。元教授がネット情報から調べておいてくれた。ツクネでは知られた店らしい。店内の小座敷は二ヵ所とも予約席だった。だが、持ち前のあつかましくも使わせてもらった。

 学生時代に焼芋屋をやっていた男がまず人生の生き方について切り出した。「65歳を過ぎても、やりがいのある、過去の経験が生かせる仕事があれば、働くべきかな」という内容だった。

 元教授がいった。「残された人生は貴重な20年だ。収入面から、なおも金が必要とか、やりがいを求めたいとか、二つの両面から判断すれば良い」とすぱっと言い切った。元教授はいまやクルージングで、カメラを持って世界をまわる。自分はいまさら会社組織など嫌だという。
「判断する基準は、焼芋屋の残る20年の人生観だよ」とつけ加えた。。

 元銀行屋はいま週三回のアルバイトで、防災関係の会社に従事している。事務仕事のほかにも、時おり防災定期点検の現場の手伝いをしていると語った。大学卒業後から、銀行の机に向かって数字をつつく。出向した十余年も数字だけだったらしい。身体を動かす、生き生きした仕事を見つけたものだ。よかったと思う。

 元蒲団屋から、墓の問題が出された。先祖代々の墓は長男が入るもの。次男は別の墓を作るものだという。つまり、次男は先祖の墓に入れない。ほかの4人はだれも知らない、新鮮な知識だった。これまで墓の風習などを知らなくても、生きてこれたのだ。このさきは身近な問題に感じる、世代に到達したと認識させられた。

 元教授には実子がいない。「日本は現有の財産を年金の原資にした、年金制度を推し進めるべきだ」と熱っぽく語る。『老、病、死』をテーマにした記事を書いてほしい、と要請された。私にはさして知識はないが、ジャーナリストとして、一つの切り口を見つけ、シリーズ化できないか模索してみたい。


室内写真の提供:溝口興二

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