A065-東京下町の情緒100景

東京下町の情緒100景(055 裏側の花道)

 高度文明によるモータリゼーションは、東京下町の街を分断した。幹線道路が縦と横に走り、升目を作る。一つの町が幾つものブロック割にされてしまった。隣近所ということばが死後になりそうだ。


 かつては田園のあぜ道だった。いつしか一車線の舗装道となった。だれもが水溜り、ぬかるみから開放された。雨の日が歩きやすくなったと、みんなして喜んだものだ。


 一車線の道は狭すぎる、車の通行には細すぎる、と言い出したものがいた。こうも狭いと、車がすれ違いの際、子どもが巻き込まれる、死傷事故が起こる前に拡張すべきだ、と声高にいうものがいた。子どもをダシにすれば、格好よくひびく。

『下町の道路は一車線で良い』と反対はできにくい雰囲気となった。
 声高の男たちが中心になり、陳情がくり返えされた。道はやがて二車線になった。他方で、車の交通量が年々多くなってきた。


 道路が直線的でないと、大型車がカーブを曲がりきれず、民家に突っ込む怖れがある。危険だといい、希望もしない民家が立ち退かされた。直線道になった。それもつかぬまのことだった。

 交通渋滞の解消という名目から、拡張工事がつづき四車線道路となった。幹線道路と呼ばれた。道路の両側には、高い騒音防止の防護策ができた。その裏側が生活道路となった。

 住民たちは花の種を持ち寄った。そして、緩衝地帯の細長い空間に撒いた。いつしか四季折々に咲く花壇ができた。幹線道路の車からは決して見えない、花の細道が下町にはあるのだ。

 下町の住民は裏道が好きだから、むかしに戻ったようで、ちょうどいい。

「東京下町の情緒100景」トップへ戻る