A065-東京下町の情緒100景

東京下町の情緒100景 (人情の源は風呂屋 004)

 路地の奥には風呂屋の煙突がにゅっと立ち上がる。雑然とした家並みから飛びだす巨きな煙突には、にゅっという比ゆが似合う。スマートさも美観もないが、違和感もない。

 風呂帰りの二十代の女性とすれ違う。石鹸の匂いがぷんと鼻腔をくすぐる。

 下町の家々狭く、内風呂をもつ家庭がすくない。昔ながらの銭湯の利用者が多い。そこからも裸の近所づきあいがはじまる。

 どの時間帯をのぞいても、富士山のペンキ絵を背にした近所どうしの語らいがある。まわりをはばからない話し声が、高い天井に反響する。女風呂の会話が、男風呂でも筒抜けだ。

 江戸っ子はぬるま湯が嫌いらしい。いつも熱い湯だ。足指を入れても、すぐに引っ込めたくなる。浴槽には気泡がぶくぶくと音を立てるから、なおさら熱く感じてしまう。
 この熱い湯になれないと、下町の団欒の場に溶け込めない。がまんして浴槽に沈む。初老の男性が話し相手になってくれた。


 近ごろ風呂屋に客寄せなのか、客の健康を思ってか、薬草を入れている。そんなものがなくても、心と心のふれあいの妙薬があるのに、と思ってしまう。

「母ちゃん、もう上がるぞ」
 5O歳になっても、夫婦で銭湯にくる。それが下町の気取りのない姿だ。思わず微笑んでしまう。

「東京下町の情緒100景」トップへ戻る