A040-寄稿・みんなの作品

【孔雀船102号 詩】  高円の野 水島英己

移り行く 時見るごとに 心痛く 昔の人し 思ほゆるかも  
兵部大輔大伴宿禰家持   


二月二十五日
もつれ結ぼれた心を うららかな
春の日にひばりが上がる景に
対比させた きみは
八月の十二日に 友人たちと
高円の野に酒を提げて登った ここは
酒と徳利.jpg友情だけを 酒とともに味わう 遊宴の地
「をみなへし 秋萩しのぎ さ雄鹿の 露別け鳴かむ 高円の野そ」
好きな秋の景物をまき散らしたのは
隠したい何かがあったからか
無邪気な一人の友は
「男同士、衣の紐を解いて飲もうよ」と笑った 四年後に
彼はクーデターの一味ということで処刑される
膨大な日記がわりの きみのアンソロジーには 縊れた首の
いまだ嘆きを知らぬ多くの歌がある
「所心(おもひ)」を述べると書きながら、季節を歌うのがきみたちだ

翌年 難波に滞在していたらしいきみは 高円の秋の野を思いつつ 
独りで六首連作の歌を詠んだ その注に「拙懐を述べて作った」とある
六首目は
「ますらをの 呼び立てしかば さ雄鹿の 胸別け行かむ 秋野萩原」
ある注釈者は「秋野萩原」は
「夕波千鳥」にも似る美しい造語だと 褒めている
「拙い懐(おも)ひ」、拙懐とは何か きみはいつも隠している さ雄鹿のきみは
ますらをのきみを いかに思っているのか

最後の高円の野は
「秋野萩原」から四年後の天平宝字二年に
きみを含めた四名で「興に依り、おのがじし高円の離宮処を思ひて
作れる歌五首」として現れる そのなかの二首がきみの詠だ
アンソロジーの終わりのきみの歌まで、数首隔てるだけ
「高円の 野の上の宮は 荒れにけり 立たしし君の 御代遠そけば」
きみが敬愛した聖武の離宮は荒廃してしまった その御代も遠くなった
わずか二年前の崩御なのに きみにはそう思える だから
「延ふ葛の 絶えず偲はむ 大君の 見しし野辺には 標(しめ)結ふべしも」
大君のご覧になった野辺には 標を結うべきだというのだ
これ以上 荒廃させたくない 彼らから

簒奪者たちを 
神話時代からの内兵としての伝統と誇りが許さない しかし
秋萩 をみなへし さ雄鹿 露 秋の野
変わらない秋の景も 崩壊する
きみの高円の野は まだあるか 

高円の野・水島英己.PDF縦書き


【関連情報】
 孔雀船は102号の記念号となりました。1971年創刊です。
「孔雀船」頒価700円
  発行所 孔雀船詩社編集室
  発行責任者:望月苑巳

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  東京都国分寺市富士本1-11-40
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イラスト:Googleイラスト・フリーより

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