【孔雀船102号 詩】 あべこべ草紙 ――師・安西均さんの思い出に 望月苑巳
春はあけぼの、などとうっかり間違って書いた
その人は
頭を掻きながらぺろりと舌を出した。
東山のあけぼのは初夏に限る
たわけごとのせいか
眠気は待ってくれないので困ると言う。
氷菓子をくわえて
浜千鳥が揺れる小旗をくぐって
浴衣の少女がふたり
あの公園には嫌な奴がいるから行きたくないわ
そんな会話をなめあう。
緩い風がさらっていく
杜若が小さな池で自己主張をしている
蝸牛はのっそりと葉脈の道をなぞる
空にはセスナ機が旋回して 女の聲を散布してゐる*1
サッカーボールを抱えた少年が通りかかって
宿題はもうすんだのかいというと
少女たちはアッカンベーをした
ボールを当てるふりをして
少年は先生に言いつけてやろうと捨てゼリフ
向日葵が花火のように咲いて
子どもたちが砂場で相撲をとっている
盆踊りの会場は出来上がったばかりだ
蝉の声で埋め尽くされる東山が
足の長い午後をかくす。
あべこべだった方がいい場合だってあると
賢者は言った
噂によればあれは「夏はあけぼの」と書いたつもりだったのに
道長さまが声をかけてきたので手が滑ったのだという
枕草子を枕にじっとりと汗をかきながら昼寝
眠る進化論の夏もよかろう
どこですり替わったのかのかは謎だが
戦争の見える青春といふ展望臺で*2
子どもらは無邪気に遊んでいるのがせめてもの幸せ。
*
その人は月の輪で寂しく亡くなったと人づてに聞いた。
(*1)安西均「奈良公園」から。(*2)安西均「寂光院」から。
*清少納言は京都郊外の月の輪というところで没した
【関連情報】
孔雀船は102号の記念号となりました。1971年創刊です。
「孔雀船」頒価700円
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