A040-寄稿・みんなの作品

【孔雀船98号 詩】 ダーリング夫人のキス 船越素子

ダーリング夫人には

だれにもあたえない

キスがひとつ 

いつでも右の口もとにうかんでいる

ご亭主のジョージも

ウェンディも 弟たちも

もらうことができなかったキス

決して大人にならない

あの少年だけが

風のようなあいさつをして

受けとっていくのだ


バリはどうして

彼の物語の最初に

あんなことを綴ったのだろう

10歳のわたしには

人生の不思議な烙印だった

それに夕餉の支度をする

母の口もとにも
 
たしかに

ダーリング夫人のキスが

うかんでいた


近ごろは鏡のなかに

ダーリング夫人の

慕情に似たちいさな蔭を
 
わたしの口もとに時折見かける

それを誰にあげるのか

いえ、あたえてしまったのか

わたしにもわからない


ただ 銀行家のダーリング氏には

端から無縁なことなのだ

株や配当には とても素晴らしい

知識と才能をお持ちですがと

作家はすこしだけ辛辣だから


そんなことには関わりなく
 
わたしの口もとに残る痕跡は

胸の奥でひりひりと
 
キスの行方を捜している

失われた記憶と 何かを 何ものかを
 
尋ねかねているのだった


PDF・縦書き 『ダーリング夫人のキス』 船越素子

【関連情報】

 孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。

「孔雀船」頒価700円
  発行所 孔雀船詩社編集室
  発行責任者:望月苑巳

 〒185-0031
  東京都国分寺市富士本1-11-40
  TEL&FAX 042(577)0738

イラスト:Googleイラスト・フリーより
 

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