寄稿・みんなの作品

朝風呂  青山貴文

 新年の真っ青な空に、温かそうな太陽が光り輝いている。今年の正月三が日は、コロナ禍のためにどこへ行く当てもない。朝から実業団や大学対抗東京―箱根間往復駅伝のテレビ中継を観ながら、酒の強くもない私がよく飲んだ。

 四日目に正気に戻ろうと、朝風呂に入る。静かな朝の冷気の中、ゆったりと澄んだ湯に身を沈める。湯面から白い湯気がたち昇っている。
 腹を大きく膨らませながら肺一杯に清々しい冷気を鼻から吸い込んだ。次に、腹を思いっきり凹ませながら、口から肺の中の空気を全て残らずゆっくり吐き出す。いわゆる複式呼吸を繰り返す。体の芯から、アルコール分が抜けていくようだ。



 一方で、ここで朝風呂で飲んだら、どんな心持になるだろう、と誘惑にかられた。
 それというのも、若いころ何かの小説で知ってお燗をした徳利とお猪口をお盆に載せ、自宅の朝風呂に浮かべた、という作品を思い浮かべたからだ。作者も題名も忘れた。

 たしか35才の時だったと思う。それを温泉地の露天風呂で試してみた。しかし、お猪口一杯で気持ちが悪くなった。もともと酒は強くないし、なおさら風呂酒は私には向いていないと思った。


 あれから数十年経った。酒にも強くなった。いまならば、何か風流で日本酒も美味く飲めるだろう、と朝風呂のなかで、誘惑はなおも強まった。

 日本酒と言えば、思いだすのは生前の父親である。ふだん静かな父が呑むと元気になり多弁となった。

 父は、若い頃、東北大の金属材料研究所に勤めていた。研究所の安月給では結婚できないと、東京高周波(株)の熱処理技術者になった。戦後、高周波(株)が縮小され、退職し、大崎の町工場を転々とする。
 町工場に行くようになって、社長と意見が合わず、コップ酒を飲むようになった。家人には分からない何か難しげな話をする。コップの酒が無くなると、ニヤッとして一升瓶からコップに新たな酒を注ぎ際限なく呑み不平を呟く。

 家人が止めると大声を出して反抗し、遂には目が座ってくる。「日本酒は父を狂わす氣ちがい水」と思い、私は好きになれなかった。
 
 父は酒の力でなんとか定年まで勤め、私を私大に行かせてくれた。

 父が亡くなり、二十数年経ったころから日本酒の旨さがわかるようになった。「父を狂わせた日本酒」という呪縛から解き放され、私は後期高齢者となっていた。

 日本酒はビールやワインなどの洋酒よりも香りとコクがあって美味い。夕方になり周囲が暗くなると、あの芳香といい、喉元を過ぎる豊醇な味覚を無性に味わいたくなる。

 昨年の暮れ、正月のお屠蘇用に高価な4合瓶「久保田」を購入し妻に渡した。

 それとは別に、数日後、清酒や吟醸酒の種類の異なる一升瓶3本を、時間をかけて選びぬいた。余った熊谷市商工会のプレミア付き商品券(1枚千円、13枚1万円)7枚全部を使って購入した。それらを二階の書斎の隅に隠し置きした。
 

 とりたてて、隠す必要もないが、一度に一升瓶3本は多すぎる。年取った亡き父が、家人に分からないように一升瓶を隠し飲んでいた。
 その気持ちが分かるようになってきた。一人こっそり飲むのは何とも言えずうまい。
 そのうちの一本目の吟醸酒「越後桜」や二本目の清酒「剣菱」を飲み干した。今は3本目の清酒「越の寒梅」を呑んでいる。私には二本目が一番合っているようだ。


 話が脇道に逸れてしまったが、朝湯にどっぷりつかっていると、昔のことがいろいろ思い出されてくる。

 小学4年生の頃だったと思う。
 立川市曙町の集合住宅に住んでいた。父は、その頃、大崎の街工場に勤めていたが、数年して失業したから、心労も多かったのであろう。休日には、そのストレスを和らげるべく、昼間から家人に内緒で日本酒を飲んでいたらしい。けれどもその頃は、まだ飲む量も少なく、顔に呑んだ形跡も表わさず、静かなものだった。


 日曜日の午後になると、明るいうちに、歩いて5分くらいにあった銭湯に、父とよく出かけた。
 昼間の明るい銭湯の洗い場は、大勢の人で混んでいた。私は胡坐をかいた父の大きな背中に、石鹸を塗りたくったタオルを両手で持ってこすっていた。頭を垂れて気持ちよさそうにしていた父が、ぐらりと横になり洗い場のタイルの上に寝込んでしまった。

 当時、私は瘦せた貧弱な体をしていて、父を抱き起こす力もなかった。
 動転して、頭が真っ白になった。急いで服を着て番台のおばさんに一言も言わずに、母親を呼びに駆け戻った。その後、父母たちがどのようにして帰宅したか定かでない。ただ、あの出来事は、未だに脳裡にこびりついている。


 正月四日、いま朝風呂のなかで、徳利とお猪口を載せたお盆を浮かべ、ゆっくり酒でも飲もうと思った。
 考えるに、ここは残念であるが、止めておこう。朝風呂で倒れるのを恐れてまで、酒を飲むことはないだろう。妻子に迷惑を及ぼす。

 思い起こせば、父と一緒に杯を交えたことは一度もなかった。あと数年して、亡き父のところに行ったら、二人してお湯の中で杯を交わしたいものだ。

イラスト:Googleイラスト・フリーより

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