寄稿・みんなの作品

似た者どうし  金田 絢子

 103歳の叔母(母の妹)が「水も受けつけなくなって、医師から、もう長くはないと言われた」と、従妹が電話をかけてきた。

 令和2年9月20日のことである。私はちょうどお昼を食べていた。そこへ、電話の音を聞きつけた長女が二階から降りてきた。報告しながら涙がこぼれた。大層高齢であるし、覚悟はしていたはずだのに。

 亡くなった私の母は活発で、叔母はどちらかというと大人しい人だった。私は、その点母より叔母に似ている。



 私と娘三人は、電話があった日の翌日、大田区中央にある叔母の家に出かけた。もともと大きなパッチリした目の叔母が、うっすら目を開けているという按配だったが、私の来たことがわかった様子だった。
 両手を頭の上まであげて、しきりに動かす。私たちはかわるがわる、その手を握った。叔母は、力強く握りかえしてくる。

 叔母の顔は皺々ではなく、なめらかであった。私の母が死んだ時夫が「こんなに美人だったかなぁ」と死に顔を評したが、その時母はまだ79歳だった。103歳の叔母の顔には、母と同じ穏やかな表情に加えて仏さまのような清らかさがあった。

 手もよく動かすし、顔には艶があり、わずかだが目もあけている。私たちは“まだ当分大丈夫ね”と目交ぜて語り合い、それでも後ろ髪ひかれる思いで帰途についた。


 あくる日、従妹から叔母が亡くなったとの知らせが入った。よかった!きのうみんなで行って、会って、手を握ったり、すっかり毒気のとれたスッキリと美しい顔にも接したのだったと、思いは盡きなかった。

 この私だって、余生を生きているのだし、よろよろと老いの道を歩んでいる。早く死んでしまいたいと思う日もある。


 叔母が亡くなってひと月余り経った11月9日、食後に食べた柿の皮を、ゴミ容器の足許のペダルを踏んで捨てた。
 次の瞬間、よろめいて尻餅をついた。後頭部が、フローリングの床にあたって音をたてた。

“冷やさなきゃ”と咄嗟に思った。
 幸い転んだのが、冷蔵庫のまん前だった。保冷剤をとり出して、髪の上からあてた。瘤は出来たが、大したことなさそうだ。
 体のそちこちが痛いのに気づくのは、2、3時間経ったころで、ことに右脇腹から背中にかけて、ちょっと体の向きを変えるだけで、えぐられるように痛い。尻餅をついたあと、急いで起きあがろうとしてひねったものか。


 尻餅をついたのは月曜日だった。
 3日後の木曜日、いつものように、糖尿のくすりをもらいにちかくの内科に行った。医師に、尻餅をつき頭を打った話をした。
 すると、「脳外科で診てもらったほうがいい。この足ですぐ行くように。紹介状を書くから」とたたみこむように言われ、びっくりした。

 CTの結果は、頭の骨にも、頭蓋内にも異常は認められなかった。実は、これより二週間ほど前には、包丁を落として、右あしの甲を傷つけ、血が沢山出た。
 この時は、自らすすんでレントゲン検査を受け、結果は問題なしと出た。

 そんなこんなで
「お母さんは百まで生きるわ」
 と長女が言ったら、すかさず次女に
「お姉さん(お母さんを)頼むわね」
 と釘をさされたんだとか。ふふ、娘たちのやりとりが、目に見えるようだ。


 ここらで叔母の話に戻ろう。
 軍医として戦場にも赴いた叔父は大分前に他界したが、どんなに叔母を愛していたことだろう。私も幸せな結婚をした。私は叔母に似ているし、それに叔母と同じ三人の娘を持っている。

 私も仏さまのような顔で、この世に別れを告げる日がきっとくる。しきりにそんな気がする。


イラスト:Googleイラスト・フリーより

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