A040-寄稿・みんなの作品

齋藤貢詩集『夕焼け売り』抄 = 現代詩人賞 受賞作品

【齋藤貢・プロフィール】

現代詩人賞 

略歴


1954年福島県生まれ。茨城大学卒。国語の教員として県立高校に勤務した。


 東日本大震災と原発事故が起きた2011年は、事故を起こした福島第一原発から北へ約14ロ、警戒区域となって立ち入りを禁じられた福島県南相馬市小高区の高校に勤務していた。


 1987年に詩集『奇妙な容器』(詩学社)で、第四十回福島県文学賞。詩集には『竜宮岬』(2010年 思潮社)、『汝は、塵なれば』(2013年 思潮社)など。


 詩誌「歴程」、「白亜紀」、「孔雀船」、「コクリコ雛罌粟」の同人。福島県現代詩人会理事長。いわき市在住。


夕焼けについて       


不意を打たれて

身構えることすらできなかった、と。


背後から振り下ろされた刃で

深い傷を負ったひとよ。


暮らしを置き去りにして

あれから、ここでは

草木のような息を吐きながらひとは暮らしている。


弔いの列車は

小さな火を点しながら

奪われてしまった一日を西の空へと運ぶ。


車窓に幾たび、夕日が沈んだことだろう。


列車は、沈む夕日のかけらを拾い集め

苦しみを、ひとつ。

悲しみを、ひとつ。

乗客は、息を吹きかけて西の空で燃やそうとしている。


あの日から、この世には痛みも、悲しみもない。

掻き毟られたはらわたのように

怒りや憎しみが黒い袋に詰めこまれて

町の至るところに放置された。

駅舎には

黒い袋をたくさん積んだ貨車が

今日も、出発の時刻を待っている。


片道切符を持って改札口に入ったのは

津波にのみこまれ帰らぬひとだろうか。

ホームを離れて、ふわりと

列車が動き始めると

乗客は、車窓からこちらに手を振る。


やがて、西の空で

列車があかあかと燃えてしまうと

苦しみは薄らいで

わずかにこころは軽くなる。

止まっていた時間が動き始めて

あの日が、少しだけ遠のいていく。

耳を澄ますと

列車の汽笛は、死んだひとの魂のように

ひゅうひゅうと、こころを叩く。


ふるさとは

あかあかとした火に包まれ

今も、夕焼けのように燃えているのだろうか。


夕焼け売り       


この町では

もう、夕焼けを

眺めるひとは、いなくなってしまった。

ひとが住めなくなって

既に、五年余り。

あの日。

突然の恐怖に襲われて

いのちの重さが、天秤にかけられた。


ひとは首をかしげている。

ここには

見えない恐怖が、いたるところにあって

それが

ひとに不幸をもたらすのだ、と。

ひとがひとの暮らしを奪う。

誰が信じるというのか、そんなばかげた話を。


だが、それからしばらくして

この町には

夕方になると、夕焼け売りが

奪われてしまった時間を行商して歩いている。

誰も住んでいない家々の軒先に立ち

「夕焼けは、いらんかねぇ」

「幾つ、欲しいかねぇ」

夕焼け売りの声がすると

誰もいないこの町の

瓦屋根の煙突からは

薪を燃やす、夕餉の煙も漂ってくる。


恐怖に身を委ねて

これから、ひとは

どれほど夕焼けを胸にしまい込むのだろうか。


夕焼け売りの声を聞きながら

ひとは、あの日の悲しみを食卓に並べ始める。

あの日、皆で囲むはずだった

賑やかな夕餉を、これから迎えるために。


寒い火

悔しい、と。

微かに唇から

寒い火が、ひとすじ零れ落ちた。

それから

新しい名が与えられて

あなたは、ひとの世からそっと抜け出した。


抜け殻には、火がともされ

手垢のついていない玄玄の、天のことば。

それに

真新しい絵の具を

この世にひとつ残したまま

さようならも言わずに、あなたは自らを脱ぎ捨てた。


あの日

海には、しんしんと雪が降って

強風も、吹き荒れていて

凍えながら

悔しい、と漏らした最期のひと言。

抜け出すときの、あなたのこのことばが

いまでも、頭から離れない。


 燃えていながら/寒い火というものがある *


この詩人の目にも、末期の火が青白く見えていたのだろう。


火が、ほんとうに寒いのは

それが、取り返しのつかない火だったからだ。


少しうつむ俯き、ゆっくりと目を閉じる。

それは、あなたに会いに行くための厳かな作法。

ひとの世では、あなたの名を口にすると

あなたの匂いも手触りも面影も、昔のままに立ち上がるのだが

いのちの火は、舌の上で青白く凍えている。


今も、行方知らずの

ふくしまの空に、絵の具で引っ掻く。

あの日の、炎とひかり。

それもまた、なんと悔しい

寒い火に包まれた故郷の景色であることか。


* 三谷晃一詩集『野犬捕獲人』より


草のひと        


あの日

うつわ世界の縁が突然に欠けて

こらえきれずに

水は苦悶して、あふれる波となった。


ちぎれた空から落ちてくる水。


避難せよ。直ちに、避難せよ。


土に生きる草のひとは、迷っている。

ここからどこへも動けずに、ためらっている。


どのようにすればよいかもわからぬまま

父と母は、遠い山を越えた。深い川を渡った。

幾度も、幾度も、後ろを振り返りながら。


草は土地に根づくものだから、

草のひとのこころは、千々に乱れている。


かつて、ここには無数の甍がならび

集落の賑やかな日々が

草木のようにそよいでいたはずなのに。

今では、放置されたまま

触れることもできぬ土地になってしまった。

朽ちていく時間が

夕焼けのように思い出を焦がしている。


あの日から

死んだひとはこうべ頭をたれて戻ってくるが

その声は、嘆きや悔恨に満ちて

ひとを眠りにつかせない。


だから、草のひとよ。

もっと声高に語れ。

ここで安らかに眠るためには

声を荒げて、何度も言わねばならぬ。

汚れた土地を放置して、無防備に

この地を置き去りにしているのはいったい誰か、と。


その無念を、ひとよ。

喘ぎ声でよい。

限りなく遠くまで聞こえるように

いつまでも、語り続けよ。


草の声や地の声が

遠いひとのこころを激しく揺らし

やがて、死んだひとの魂を鎮めるまで。


桃色の舌を垂らして               


毛皮に身を包み

桃色の舌を垂らして、地をさまよう。


おれは、愚かな一族の末裔である。


嗅覚は鋭くなった。

足腰も衰えてはいない。

敵を、瞬時に嗅ぎ分け

捕獲することもできる。


涎を垂らし、牙をむく

無頼な野生も

どうにか、近ごろは身についてきた。


けものの滅びの味覚を

桃色の舌でめ愛でながら

死と戯れて

いのちの切れ端をひと息に呑み込むのが

おれの快楽。


それは、罪深いことだろうか。


けものの快楽に身を委ねて

野蛮なおのれを、生きる。

けものには

あたりまえの日常が

今のおれにはある。


牙をむくから

殺戮されるのだと

教えてくれたのは、どこのどいつ誰だったか。


たとえ、牙をむかなくても

文明の野蛮は

けっして殺戮をやめないだろう。


愚かなけものだ、おれたちは。

その先に、いのちの未来があると信じている。


愚かな末裔だ、おれたちは。

けものの毛皮で身を包み、荒い息で涎を垂らしながら。


桃色の舌が、ヒリヒリと焼けるように痛い。

決して抜けぬ棘のように。

二度ととりかえしのつかぬ悔恨のように。


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