「寄稿・孔雀船93号」(詩誌) 水滴の家 鷲谷 みどり
更新日:2019年3月 7日
ある日彼女は 霧の匂いのする夕食のあと
床下に穴を掘っていた
彼女が横たわることができるだけのそれを
彼女の不安の水がいきわたるように
いつか そこから
ふかい みどりの不安の木が
生い茂るように
木はどこまでも彼女の
新鮮な不安をほしがるから
彼女の小さな如雨露は
たちまち指先から空っぽになって
そのすきとおり方を皆に褒められながら
やがて みずみずしく したたり落ちていく
不安の果実に囲まれて
彼女は誰にも見えなくなった
私は叔母に会ったことがない
私が引き継いだこの家は
いつも内側からの わずかな雨に濡れていて
私の指など 素知らぬ顔で
木は ますます盛んに
暗く沈んでいく
叔母の口の中をいつも満たしていたという
うすにがいそれは
私の膜と決して交じり合うことはない けれど
とろけたビー玉のようなその実を
ふいに舌の上に乗せるとき
私はすこしだけ
叔母のまるく光る 白い皿の淵の
そのつめたい空腹に
からだを浸すことができた
家をななめに傾がせて
外へ大きくせり出した木は
風が吹くと カラカラと彼女の骨の音が鳴る
その音はしばらく
近所の子どもたちを
おびやかして
それも やがて消えていった
イラスト:Googleイラスト・フリーより
【関連情報】
孔雀船は1971年に創刊された、40年以上の歴史がある詩誌です。
「孔雀船」頒価700円
発行所 孔雀船詩社編集室
発行責任者:望月苑巳
〒185-0031
東京都国分寺市富士本1-11-40
TEL&FAX 042(577)0738