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ツィッターからの読者感想文、『芸州広島藩・神機隊物語』 =ひえだのあれい

 私には良い小説を読む時のルールがある。
 その小説の場面に入り込んで様々な人の立場でその状況を考える。
『芸州広島藩・神機隊物語』は合間を入れて様々な人物になって考えながら噛(かみ)み締めて読んだ。

 先の『広島藩の志士』を読んだときは、隊長の高間省三にスポットを当てていた為か、神機隊員達の状況が十分に掴めずにいたが、
『神機隊物語』を読んで、隊員達の官軍の中で置かれている立場や戦闘状況が壮絶過ぎて、これが本当にあったことだとは信じ難いほど過酷なものであった事に驚愕を覚えた。
 『神機隊物語』を読み終えると、戊辰戦争は神機隊の壮絶な戦いによって決したと断言していい、ということがよく解かった。また、必要に迫られてそうなったにしても、広島藩の思想や藩政は現代からみても最先端を行っていると思われる。
 そんな広島藩が明治新政府の中核を成していたならば、いろんな意味で世界をリードする国になっていただろう。それからすると、現代の広島はまだ本来の能力を出し切れていないのかな?

 神機隊が青葉城に入場したとき、まともに歩行できたのは数人だけだった。みんな怪我でボロボロの状態だったに違いない。自分たちを恐怖に陥れた神機隊の凱旋を見て、仙台の人たちはどう思ったのだろうか。
 戦争が終わってみれば、このボロボロの小集団(神機隊)に、数千もの仙台藩の軍勢が恐怖に慄いていた、という事実に対して信じがたかったに違いない。
 また、神機隊の壮絶な戦いでも広島自体が恨まれていないのは、極力民を犠牲にしない一貫した姿勢と対応、そして義の為に命を懸けていたことが、その心が、何となく福島の領民に伝わっていた、そう思いたい。
 福島といえば長州を恨んでいるとよく云われているが、長州は討幕と功名心ばかり目立って、義を尽くす姿勢がなかったから恨まれたのだろう。
 薩摩となれば、厳しい戦場から逃げるくらいだから、問題外だったと思われる。

 広島藩士の活躍が、歴史の表舞台から消し去られた。それには、活躍した神機隊が広島藩正規軍として認められなかったことが、大きく影響しているのではないかと思う。広島藩の正規軍(応変隊など)も戊辰戦争には参加している。職業軍人として徹底して訓練された精鋭部隊である神機隊とは比べものにはならない。活躍したとはみなされていない。そして戊辰戦争は薩長の手柄になってしまったのだ。
 更には薩長の周りを蹴落として我一番になろうとする思惑に対し、団結して、みんなで局面を乗り切ろうとする姿勢に手柄を独り占めしようとしない奥ゆかしさ。
 ここに広島が明治の中央政府から、外された大きな理由があるのだろう。

                     「了」

【関連情報】

 写真=穂高健一・相馬中村城 2014年6月14日
 
 相馬藩・中村城です。「神機隊物語・奇襲の駒ヶ嶺」(285ページ)で、~戦える隊員はわずか90人程度だった。~太陽が真上にさしかかるころ、神機隊は相馬中村城下に入った。
 

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