【寄稿・写真エッセイ】 母の想い = 黒木 せいこ
会社の同僚で、いつも元気な森田さんが、最近は落ち着かない様子である。時々ため息をついたり、考え込んだりしている。わけを聞いてみると、一人息子の弘くんが大学受験の真っ最中なのだそうだ。
森田さんは、50代前半の女性で、ずっと正社員として働いてきた。ショートカットで、いつも背筋がスッと伸びていて、スマートだ。会社ではデザインの仕事をしているので、いつもおしゃれで、さっそうと歩く姿は、いかにもキャリアウーマンのイメージそのものである。
森田さんのご主人も、デザイン関係の会社を経営している。両親からの芸術家の血が流れているせいか、息子の弘くんも大学は芸大を希望していると聞く。
昨年も受けたが失敗したので、一年浪人して、今年は二年目の挑戦である。1月に私立の美大を二つ受けたが、ともに落ちた。予備校では大丈夫だろうと言われ、本人も手ごたえがあった大学だけに、かなり落ち込んでいるそうだ。
それに、仲のいい友人たちが、次々に合格したため、弘くんの失意のショックは人一倍らしい。そんな弘くんを見て、森田さんは、母親としてどうしてやればよいかと、心を悩ませている。
私の子どもたちはもう社会人なので、「受験生の親」はすでに卒業したが、森田さんの様子を見ていると、当時を思い出す。
娘の中学受験の時は、その学校まで付き添った。受験当日、冷たい雨が降る中、私たち母子は、朝早くから駅まで歩いて行き、電車に乗った。慣れない満員電車に、娘は気分が悪くなってきた。それでも、何とか受験校にたどり着き、青白い顔をして教室に入っていく娘を、私はなすすべもなく見送った。
娘は一次試験には落ちたが、あきらめずに二次募集に挑戦し、希望する中学に合格した。学校の掲示板で合格発表を見た瞬間、あまりに嬉しくて、入学手続きの書類を、涙を浮かべて震える手で受け取ったのを憶えている。
子どもの喜びは、そのまま母親の喜びになる。しかし、子どもが苦しんでいるとき、親は自分の身を切られるようにつらいものだ。
「こんな落ち着かない日は、お菓子を焼くことにしているの」
と、森田さんは、家で焼いたクッキーやケーキを、何度か会社に持ってきた。
彼女はなぜかオーブンが好きだと言う。自ら生地を作り、オーブンに入れてそれが焼きあがっていく状態を見ていると、心が落ち着くそうだ。それはちょうど私がイヤな出来事があったとき、チクチク針を動かしていると、次第に心が穏やかになるのと似ているのだろう。
3月に入り、その日は会社を休んでいた森田さんから、弘くんが芸大の一次試験に合格したとメールが来た。
「おめでとう。よかったね」
私はすぐに返信した。
「でも、まだ一次だから合格したわけじゃないよ」
「頑張れ。私も応援してるよ」
「何だか、また胃が痛くなってきた」
「仕方がないよ。親の宿命だもの。ここはまた、クッキーでも焼くしかないね」
「そうする」
そんなやり取りをした数時間後、大量のクッキーの写真が送られてきた。
森田さんからだ。私はあわてて、どうしたのか聞いてみると、あのあと、ひたすらクッキーを焼いたというのだ。彼女のやり場のない気持ちが、クッキーの山になったのだと思うと、切ない気持ちになった。
翌日、森田さんは、その大量のクッキーを少しずつ袋に入れて出勤し、会社の人たちに配った。
もらったクッキーをそっと口に入れてみると、ほんのりバターの風味がして、甘さもほどよく、とても美味しかった。
森田さんの、母親としての想いがいっぱい詰まったクッキーで、私は胸がいっぱいになった。どうか願いがかなって、いい知らせが来ることを、心から祈っている。