A040-寄稿・みんなの作品

【寄稿・エッセイ】 あきらめの後押し = 吉田 年男

 駐車していたところに車がない。いつも見慣れていた愛車の姿が見当たらない。

 若いときからさんざん車を楽しんできたのだから。後期高齢者の仲間入りをしたのだから。などと考えた末、6回目の車検を前に廃車を決めた。
 処分を決めたことに未練はないはずだったが、空いている駐車場をみるとなんとなく車のことを思い出す。


 売却を決めた日は、正午に業者が車を引き取りに来ることになっていた。「お父さん、この車に乗るのは最後だから、その辺を一回りしてきたら」 と家内にいわれた。すぐにはその気になれずに、老犬レオ君と家の中をうろうろしていた。

「レオは車に乗るのが大好きだから、レオと一緒に哲学堂動物霊園にゆきましょうよ」
 中野区にある動物霊園は、以前飼っていたネコのお墓があるところだ。自分には、到底思いつかないこの誘いにその気になった。

 レオを車の座席に乗せると、いつも寝てばかりいるのに、嬉しいのか立ち上がって窓から首を出そうとしている。シートを汚さないように、バスタオルを後部座席いっぱいに敷いた。

 毎6か月おきの安全点検を受けてきたので、始動するエンジンも調子がいい。家を出るとき、午前十一時を少し回っていた。
 ハンドルさばきも軽やかに中野サンプラザの前を通り、大久保通りの交差点を渡った。ここから哲学堂霊園まで十分くらいだ。


 西武新宿線の踏切まで来た。踏切がなかなか開かない。通勤時間帯は過ぎているのにどうしたのだろう? しばらく待たされているうちに、都内でも有数の開かずの踏切であったことを思い出した。いらいらしてきた。
 やっとのおもいで踏切を通過したが、霊園まで三十分以上かかってしまった。

 霊園についたときは、業者との約束が気になって、気持ちにゆとりがなくなっていた。墓参りは早々と済ませた。車に戻り運転席に座ったが、帰路での踏切が気になる。別なルートはないかナビで調べた。踏切はどうしても避けられない。逸る気を落ち着かせながら霊園を後にした。

 早稲田通りを右折して、哲学堂を左にみながら、JR中野駅方面へ向かった。発光ダイオードに取り換えられた見やすい信号機がやたらと目立つ。交差点を何回か通過して「開かずの踏切」まできた。踏切は開いている。左右を確認して一気に渡った。そのとき、「左によって停車してください」 と警察官に呼び止められた。

 路肩に車を止めると、警察官が近づいてきて腰をかがめながらいった。
「一時停車しなかったですね」
「そんなことはない。標識は見落とすことがあっても、踏切での一時停止は必ずしている」
 などと、自信ありげに警察官に向かって自分の意見を主張していた。
 冷静になって考えてみると、あの時の精神状態では、一時停止をおこたっていたかもしれない。


 運転最後の日に、はからずも警察官に注意を受けた。(これでよかったのだ)と廃車を決めた後の気持ちに整理がついた。
 踏切でのことが、間違いなくあきらめの後押しになっている。

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