A040-寄稿・みんなの作品

【寄稿・フォトエッセイ】おばさん観察考=高橋 稔 

作者紹介:高橋 稔さん

      よみうり日本テレビ文化センター・金町「フォトエッセイ」の受講生です。  
      一昨年のリタイア後は、エッセイと吹き矢に取り組んでいます。

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おばさん観察考   高橋 稔 

 地元のサークル『スポーツ吹き矢クラブ』に入会してもうすぐ2年になる。私と同様にリタイアした人や主婦など66歳以上の21人が集う。内訳は男性9人、女性が12人。吹き矢人口は全国的にも女性の方が多いらしい。
 「スポーツ吹き矢」の知名度は決して高くない。メンバーに入会動機を聞いてみても(始めたきっかけ)は市の広報を見てとか、私のように公開体験会を見学して、やってみたくなったなど、偶然の出会いが多いようだ。
 クラブの練習場は広さの関係もあって、7つの的しか設置できない。
 他人が練習している間の待機時間が結構ある。その間は後方のイスで待機するしかない。もっともこのサークルは「上手くなるより楽しくやろう」に主眼を置いているので、練習はほどほどで、おしゃべりが楽しくて来ている人も数人はいるようだ。

 私は最近、この待ち時間の「おじさん、おばさん観察」が楽しみの一つになった。家では妻という、一人のおばさんとしか接することが出来ないが、ここでの「集団おばさん言動」には新発見や再認識することも多い。
 そういう私もれっきとしたおじさんなのだから、時にはわが身を投射しているようで、自己反省する機会でもある。

 まず、おばさんたちの会話で多い、その1は〈健康問題
 「最近、肩や腰が痛くてねぇ」「私は目がすっかりおかしくなっているの」「この頃、胃の調子が悪くて、一度医者に行ってみようかと思っているの」というように自分の不調な部分を説明する。時には「あなたはまだいい方よ。私の症状はもっとひどいわ」と病気比べで重症を争っている。若い時には余り聞かなかった会話が延々と続く。
 でも、なぜか調子が悪いくせに楽しそうなのだ。心理的な不安があるから不健康を主張し合うのだろうが、心の中では「まだ大丈夫だろう」という気持ちもあるはずだ。これがもしも重病だったら「検査して、肺がんが見つかったよ。がんは結構大きいらしい」などと悠長な説明をしている場合ではない。
 不健康を喧伝するのも、きっとストレス解消なのだろう。

 健康に関して言えば、おばさんたちは[体に良い食品]の情報もすごい。
「黒ゴマは効果があった」「アーモンドを毎日、少しずつ食べるといいようだ」「きのこ類はふんだんに食べた方が体にいいわよ」など、多分テレビや健康雑誌の情報なのだろうが、次から次に、新しい健康食品の名前が出るのには感心するばかりだ。

 おじさんやおばさんの会話で多い、その2は〈老けてきた自慢
「最近、白髪が一気に増えちゃって」「あなたはまだいいわよ。私は髪を洗うのが怖いわ。お風呂の排水溝を見るのが恐怖なの」「私は急に歯がガタガタになってきている。今まで絶対自信あったのに」など老化現象を話題にしたがる。それもどこか楽しげというか、自慢げというか、少なくともそんなに悩んでいる風ではない。人はどうにもならことには、無理に抵抗しようとはしない。抵抗してもしょうがない。でもあきらめかけている老化現象には、わが身への失望感はある。
 だから誰かに聞いてもらいたい願望があるようだ。
 この話題になると、おじさんも参加して、議論はけっこう盛り上がる。

 その3は〈おいしい店やおいしいもの情報
「○○通りのあの店に行った? ホントにあそこのイタリアンは最高ね」
「あなたから聞いた和菓子屋さんに行ったわよ。本当に美味しかった。もう他の店では買えないね」「最近できたケーキ屋、あれはダメね。値段が高いだけだわ」など。それぞれが情報自慢や舌自慢をする。
他の人が評価しなくても、気に入っている店があるとか、みんなはおいしいと言っているけど、私はそうは思わないなどとは決して言わない。みんながおいしものはおいしい。いい店はいい店なのだ。時には

「高橋さんも食べてみてよ。きっと満足するから」と突然振られる場合もある。
 新しい店が出来ると、必ず行って最初の評価をするおばさんがいる。その後はその人の意見に、引きずられることが多いような気がする。味覚なんて、個性があっても良さそうなものだが、ここでの自己主張はまずない。

 その4、〈子供自慢、孫自慢
 この件はおじさんが入っていけない、おばさん世界の独壇場だ。
「大変だったわよ、孫のランドセル買に行ったら6万円よ。びっくりしたけど、孫はそれがいいって、言うの」「孫が来て、通信簿見せてくれたの。先生も褒めてくれて、このまま伸びてほしいって書いてあったわ」「私の娘ったら、家に来るとすぐ冷蔵庫開けるの。結婚してもやっぱり実家がいいのね」などなど。
 おばさん間の日常生活を語る会話に、多少の自慢や見栄が、ちりばめられた見事な会話が展開する。「困ったわ」と言いながら、少しも困った表情がない。その顔は実に爽やか。勝ち誇った表情にさえ見える。
 ともすれば、おばさんたちは、自分のことを話したいあまり、他人の話をよく聞いていないから、話題の場面展開が早い。さっき、この話題をしていたかと思うと、1分後には全く関連のない話題に発展している。男同士の会話では、考えられない回転の速さだ。
 サークルに集まる、メンバーは実にいい人たちである。どこにでもいるごく普通のおばさん、おじさんたちだ。
 会社勤めをしていた頃は、世の不条理と戦い、きっと人知れず苦労の連続だったであろう。リストラされた人もいる。

 長年、主婦としてやってきた人たちも、多分いろいろ悩みを抱えながら、こんにちがあるのだ。
 食糧難の時代に育ち、結婚して、子供を育て、高度経済成長を体験して、バブルがはじけ、今はみんな年金生活者になった。
「週1回、元気でここに来て、みんなとおしゃべり出来るなんて、幸せと思わなくてはね」とはよく聞くせりふだ。先々を考えると、何らかの不安を持っているが、今は自分で自由に行動が出来る。病院に入っていたり、外出したくても、出歩くことが出来ない人に比べたら、現状に感謝することを知っている人たちだ。
 リタイアする2年前までは想像もつかなかった世界がここにあった。
 そして私も、いつのまにか、その世界にすっかり浸かってしまったようだ。

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