A040-寄稿・みんなの作品

【寄稿・フォトエッセイ】 死んだらどうなるか=久保田雅子

【作者紹介】

 久保田雅子さん:インテリア・デザイナー。長期にフランス滞在の経験があります。(作者のHPでは海外と日本のさまざまな対比を紹介)。
 周辺の社会問題にも目を向けた、幅広いエッセイを書いています。

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           作者のHP:歳時記 季節と暦の光と風・湘南の海から

死んだらどうなるか  久保田雅子


 3週間ぐらい前のことだ。土曜日の午後、ラジオで<死んだらどうなるか>というテーマの番組があった。鳥越俊太郎氏が知名人たちに「死んだらどうなると思うか?」と質問していく。
 「最後の晩餐(食べたいもの)は何がいいか?」などもたずねる。
 (私だったら冷たいビールかなぁ…)
 仕事をしながら聞いていたので、詳細まではよく覚えていないが、大多数の人があたりまえのように、死んだら<無>になる、と答えていた。
 天国へ行く前に裁判があって行く先が決められる、と答えた人もいた。
 思ったより少なかったのが、肉体は無くなるが霊魂は残るというものだ。
 生まれ変わる(輪廻転生)はなかった。
 臨死体験をもった人もいた。美しいお花畑や、川があったという。とてもいい気持ちのところに誰かに呼ばれて気がついたら、生き返っていた…。
 最後の晩餐は他人が聞くと「へぇ」と思うものが多くおもしろかった。

 ずっと以前、キューブラー・ロス女史著<死ぬ瞬間>という本がベスト・セラーになったことがあった。(30年ぐらい前?)
 精神科医の彼女が末期患者の心理と臨死体験者の話をまとめたものだった。
 死を間近に迎える時の心理プロセスを、段階的に解明していた。
 大勢の臨死体験者によると、精神が肉体から離れて浮遊し、自分の寝ている姿を上から見ることができる。遠距離の会いたい人のところへ瞬時に行ける…。
 魂は肉体から離れてトンネルに入ってゆき、その先に至福の光を見るという。
 私の母は、遠くに住む祖父が、死ぬ前夜に寝ている自分の枕元へ来たと話していた。こういう話はほかでもときどき聞いたことがある。
 同じころ、上智大学でアルフォンス・デーケン教授(イエズス会司祭)が死の準備教育(死科学)の講義を開始して評判になった。
 (勉強すると死もこわくなくなるのかなぁ…)

 世界中の宗教は突き詰めれば<死んだらどうなるか>からはじまったと思う。

 <輪廻転生>は仏教やヒンズー教、古代エジプトやギリシャなど世界各地で信じられている。
 チベット仏教の<ラマ=高僧>は死亡すると弟子が転生者を探し出す。候補者の子供の中から前世の記憶をテストして確認する。正式に生まれ変わりと認定されると、<ラマ>としての特別教育を受ける。 
 「前世はね…」などの会話は最近聞かなくなったが、輪廻転生の実録はたくさんあって興味深い。現在ではアメリカなどで宗教と関係なく、精神科の心理療法などに使われているようだ。

 <死んだらどうなるか>誰でも時々ふと考えて不安になるときがあると思う。とくに病気になったときには、急に身近な質問になる。
 死んだら<無>になる、土に帰る、というのは現実的すぎて、もうすぐ死を迎える人の気持ちとしては寂しすぎる。
 私は、あちこち壊れて疲れた身体は無になっても、魂は輝いていく、と思った方が迎える死に希望が持てる気がする。

 <死んだらどうなるか>どんなに科学が進歩しても、絶対に答えがわからない質問だ。自分の好きな死後を選んで信じることが必要なのかもしれない…。

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