A040-寄稿・みんなの作品

【被災者・写真提供】廃墟の陸前高田市で生きる=大和田晴男

 私が3.11小説の取材を開始したのが11年11月からです。それ以前の被災地は自分の目で見ていません。それだけに、被災者自身の目で撮影した写真は、(報道機関の写真とは違い)、それぞれ想いが籠っているし、貴重なものです。

 陸前高田市を取材する折り、同市在住の大和田晴男さんから、被災当時から1年間にわたる写真を提供してもらうことができました。
 プライベートなものは割愛し、被災地のカキ業者の視点から掲載させていただきます。



 3.11の大津波で、大和田晴男さんの持ち船は陸に打ち上げられた。カキ養殖業にとっては、最大の生産道具です。
 その失意は計り知れないものがあったようです。

 

 陸前高田市は一瞬にして、廃墟となり、約2000人の方々が尊い命を亡くしました。家屋も、町も、すべて失なったのです。


 大津波の大災害から、難を逃れた子供たちは将来の希望です。

 写真の刻まれた日にちから、まだ1か月も経っていないのに、カメラむけると、ガレキの前で戯れる子どもたちです。
 とても、印象深く、貴重な写真です。

背後の白い建物が高台の中学校で、家屋を失った住民たちの避難生活場所です。この学校すらも、あと1メートル水位が高ければ、大津波に飲み込まれるところでした。


 陸前高田市はあらゆるものが廃墟となり、病院は一軒も残っていませんでした。


 撮影日:11年5月13日

 海から見た陸前高田市。同市の最大の高級ホテル『キャピタルホテル』が見えます。まわりの建物はすべて廃墟です。

 震災からわずか2カ月後の撮影です。また来るかもしれない、大津波の恐怖が残り、余震も多発してさなか、『海の男』漁師でなければ、とても沖合から撮影できません。

 撮影日:11年5月16日

 震災から2か月経って、海岸に打ち上げられたカキイカダを見て、「どうやって生きていったらいいのだろう。大切な漁船も失った」と茫然自失だったそうです。

 浜の男は唇をかみしめ、浜の女は隠れて泣いたと言います。

 撮影日:11年5月16日

 2か月経っても、防波堤は破壊されており、民家の屋根は水没しています。これでは再起の力など生まれません。


 堤防の高さが4.5メートルでした。最初に大津波警報が出されたのが、3~4メートルでした。だから、この堤防が町を守ってくれると、多くの人が信じて疑いませんでした。

 その後の大津波警報は6メートル以上になりましたが、停電でTVは観られず、携帯もつながらず、多くの人が逃げ遅れてしまいました。

 そのうえ、高田松原の松の木(2~3トン/一本)は巨木で、70000本がすべて凶器となり、民家をなぎ倒し、人々に襲いかかったのです。

 自然災害の多い長野県からも、救援物資が届きました。廃墟の高田においては、これら物資が命の糧でした。


 

 撮影日:11年6月3日

 3か月経てば、精神的に危なくなる時です。ボランティアによる、被災者に安らぎを与える、イベントが開かれたようです。

 撮影日:11年6月2日

 避難所から、多くの人はかつての住まいの街を見にきます。「おまえ生きていたか、よかったな」ということばから、「どうやって生きていこう」という会話に変わる頃です。



 撮影日:11年12月19日

 真冬はカキ鍋のシーズンです。かつては最盛期で、浜はにぎわっていました。震災後、いまや海に浮かぶイカダはわずか2台です。(かつては約600台)。この季節は雪が降っているし、寒々とした光景です。

 同市・米崎地区には10軒のかき養殖業者がいます。正月を前にして、だれもが収入がゼロです。


 撮影日:12年2月15日

 カキ業者は水揚げしたカキの殻をナイフで開け、身を取り出し、水洗いする作業場が必要です。
 1年経っても、漁港の復興計画は進まず、作業場の新築もできず、被災状態のままです。


 被災後、浜の女性たちはイカダとともにカキが陸に打ち上げられていたので、それらを回収し、ネットに入れて養殖していました。
 自家消費分だけで、東京・築地の魚市場に出せる、品質ではありません。どこまでも、無収入です。

 撮影日:11年5月21日

 浜の男たちはもともと一匹狼です。10軒が協同組合を作り、「まずイカダを作るっぺ」とスタートしました。


 


 大和田晴男さんは約10年続けてきた、中学生の体験学習「かき養殖」を実施します。「震災の被害を受けたからと言って、止めるわけにはいかない」と、中学校に出向き、カキの特性を講義しました。そして、2日後に海に出る注意事項を述べました。


 かき養殖イカダは、ボランティアの手も加わり、急ピッチで進んでいます。

 カキの種(タネ)が松島湾から届きました。「さあ、種付だ」と浜には希望の光が見えてきました。むろん、まだ無収入で、何を購入するにしても、すべてが借金です。


 種付したカキが、2年後には収入になるのだ。頑張ろう、と活気が出てきました。


【注】
 大和田さんから提供された、デジタル写真(SD・1枚)から、災害から立ち上がる漁師魂が十二分に読み取れます。
 写真キャプションはインタビューをもとに穂高が独自の判断で記しています。

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