A040-寄稿・みんなの作品

【寄稿・エッセイ】ベリー・グッド・ボーイ= 星乃 うらら

【作者紹介】
 星乃 うららさん : 主婦暦は30年以上です。昨年から「よみうり日本テレビ文化センター・金町」(公募エッセイ教室)を受講して1年4ヶ月です。俳句暦としてはかつて2年あまり。日頃のストレス解消として、「健美操」という体操、現代琴などをおこなっています。

【作品紹介】
 文芸社「たび・旅・Journey!」に掲載された入選作です

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ベリー・グッド・ボーイ= 星乃 うらら


 旅をしていると、海、湖、川など、水の満ちた風景たちに心魅かれる。癒され好きの私は、そこに遊覧船、川舟などを見つければまず近寄っていく。

 夫と二人で、千葉県佐原のさわら舟に乗り、川くだりをしてきた。十二月初旬だった。世間では年の瀬で、大掃除でも始めようかという時期だ。世の流れに逆らって、小京都といわれる柳と川の町をのんきに歩いてきた。かつて、水郷のあやめ祭りの帰途、この町に立ち寄っている。鰻重を食べて満足して以来の佐原歩きだった。


 町の中心を流れる小さな川は、小野川というそうだ。川端に柳が続き,冬枯れの細枝がしなやかに風に揺れる。昔ながらの白壁土蔵が陽で輝く。浮世を忘れて、そぞろ歩くにはぴったりの町だ。
 小さな川に小舟が客を乗せて上り下りし、絣もんぺのおばちゃんがのどかに櫓をあやつる。舟の上にはなんとこたつなどもしつらえてあるようだ。

「今度こそは、さわら舟に乗りたい」
 と夫が言った。
 春来た時は発着所の行列を見てあきらめていたのだ。今回は師走の冷たい川。さすがに並ぶ人は少ない。チャンス到来だ。二人の呼吸も合い、乗ることに決めた。
「さあさあ差し向かいでこたつに足を伸ばしなさいな」
 発着所の世話人のおじさんはとても威勢がよく、靴脱ぎの場所なども教えてくれた。

 冷たい空気をぬって、こたつで暖を取りながらゆらゆらと下って行く。お舟の心地好さは格別だ。川の水は思ったよりきれいで、川幅も広く感じられた。船頭のおばちゃんが、舟をこぎながら佐原の歴史を教えてくれる。この時だけはちゃんと頭に入り、しっかり佐原の人となった。

「お客さんたちどこからお出でですか?」
 おっとりと尋ねられた。柴又帝釈天あたりの話、寅さんの話などを聞かせた。船頭さんも、たいへんに楽しかった、と言ってくれた。

 舟をおりて、ぶらぶら、川沿いに歩きながら、我が家にも『こたつ』が欲しいという話になった。
 東京下町のマンションの住人ではあるが、一応そこの大家である。設計の時から他の所帯とは別に、和室を一部屋しつらえてある。ところが、今やその六畳間は、息子のパソコン部屋、ゲーム部屋と化し、雑誌、CD,紙切れ、布団までもがところ狭しと占領する。畳がわずかに見えるだけという有様になっている。

「こたつは駄目ね。あの子がいつか所帯を持つまでは」
「そうだな。まあいいよ。何にしても、今日は楽しかった」
「また来ようね」
 二人で自然に腕を組んだ。
 そのまま黙って川沿いを歩いているうちに、あれっ、今の『また来ようね』というせりふは、どこかで聞いたことがある、あれれっ、と考える。考えているうちに、はるかに遠い思い出がフラッシュバックしてきた。

 忘れもしない、息子が幼稚園児で、五歳の時の家族旅行だ。
 一泊の箱根の旅で、子供には豆リュックをしょわせていた。わが子ながら、紅顔の美少年? 本当に可愛らしかった。まだ、次の子が生まれていない時だ。周囲の愛情を一身に受けてのびのびと過ごし育つ。息子には一点の憂いもなかった。
 箱根の一泊旅行の途中で、夫と私に挟まれた息子は芦ノ湖の遊覧船に乗った。五月晴れの空、青い湖面と青い風を満喫してやがて桟橋に降り立った。わが子は、感激のあまりか大きな声で、
「お母さん、楽しかったね。また来ようね。きっとだよ」
 と叫んだ。

 
 外国の三人連れのグループが、私たちの背後に続いていた。その中の体格の良い金髪の婦人が、これまた大きな声で息子を指して言ったものだ。
「オオ、ユーアー、ア、ベリーグッド・ボーイ。ベリーベリー、グッドボーイ」
 周りの人たちがみな、にこにこしながら、ほほえんで息子を見ていた。ゴールデンウィークの中のきらきらした万華鏡のような、かわいい旅の思い出だ。


 近頃は反抗したり、憎まれ口をきいたり、なんとなく敬遠したいような息子。思い起こせばあんな絵のような素敵な日もすごさせてくれたんだなあ。
 今は夫と私、三十の息子と下の二十三の娘と、すったもんだのてんやわんやの日々だが、しばらくすれば正真正銘のふたり暮しの夫婦旅になるのだろう。そして歳を重ねて、また違った趣の旅もできることだろう。

 かくなる上は、金持ちの爺さん婆さんになって、思い切り未来? の孫をかわいがって、できれば贅沢な旅をしてお船に乗せてあげよう。そして、
『おじいちゃん、おばあちゃん、楽しかったね。きっと、また来ようね』
 と言わせてやろう。
 夫婦の話はそんなところに落ち着いた。

 会話はあたたかくても、川沿いのぶらぶら歩きがとても寒くなってきた。自然に寄せ合った身体に互いのぬくもりを感じながら、佐原の旅は終わろうとしていた。【了】


           写真提供(佐原関係):株式会社ぶれきめら(千葉・香取市佐原)

                 (箱根)  : 滝 アヤ

                       
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