A060-3.11(小説)取材ノート

小説取材ノート(38)陸前高田=身元不明者が眠る寺でNHK除夜の鐘

 2012年大みそか、NHK『ゆく年くる年』の除夜の鐘は、陸前高田市・米崎町の普門寺(熊谷住職)で行われます、と同市内の被災者から連絡を頂いた。23時50分頃から、生放送である。
普門寺は曹洞宗で、開山500年(仁治2・1241年)の由緒ある寺である。同県内最大の巨木の百日紅や、優美な三重塔などが境内にある。

 ことしの3月28日に、私は普門寺の住職夫妻から取材している。
 3.11の大震災後から、火葬された遺骨が本堂の祭壇に祀られてきた。
 遺骨となった被災者は仏教のみならず、あらゆる宗教が絡む。原則として、同寺は直接関与せず、陸前高田市役所に本堂の一角を提供し、市の管理のもとに遺骨が安置されてきたと説明を受けた。

「それはそれとして、毎朝読経をあげてきました」と住職は語っていた。さらなる話で、震災直後は同市内の火葬場が不足し、千葉市や佐倉市などに遺体が運ばれて荼毘(だび)に付されていた。
「火葬場には同市長や議員らが立ち会ってくださった。それには厚く感謝しています」と住職は話されていた。

 同寺に安置された遺骨はDNA鑑定で殆どが特定されてきた。

 しかし、一年余りたっても、身元不明の遺骨が眠っている。どういう人たちなのだろうか。やがて無縁仏になるのだろうか。そんな憐みもあって、仏像とか、千人像とか、お供え物とか、ローソクとか、全国各地から届いて祭壇のまわりに供えられていた。


 気仙沼港の漁船員が岸壁で取材に応じてくれた。3人兄弟で近海漁業を行う。大震災の時、たまたま持ち船を大船渡の造船所で修理していた。大地震が発生した後、末弟が持ち船が気になり、大船渡に向かったという。
 ちょうど中間点である、陸前高田で大津波に遭って亡くなった。
「いまとなっては、高田に死にいったようなものだ」と次男が話されていた。

 こうしたケースからして、身元不明の遺骨が親族に旅先を告げずに出かけた、東北旅行者だったりするのかな、とも思える。一方で、少子化の時代だから、一家がすべて亡くなり、届け出がないのかな、とも類推できる。

 祭壇の白い遺骨が管理番号で表記されていた。それが実に気の毒だった。

 
   写真説明:名工・気仙大工が特殊技法で天井を造作したと説明する、熊谷住職

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