A060-3.11(小説)取材ノート

小説取材ノート(26)陸前高田=脅しの邪教もはびこる、宗教被害

 2011.3.11に大津波が襲来した。襲い狂う津波はとくに引きが強い。あっという間に、住人は津波で海洋に流された。渦巻く潮のなかで、家屋や建造物、構造物の下敷きになった。

 人間が極限で生死を分けるのは72時間(まる3日間)だという。それ以上経っても、奇跡的な生還者もいた。
「まだ生きている」それを期待しながらも、日を増すごとに、「もうダメかも……」と絶望視してくる。

 昨年同月、陸前高田市内のある中学校の遺体安置所には、300人以上の身元がわからない遺体が柩に入っていた。DNA鑑定が全国にわたって分散されておこなわれた。そのうえで、確認できた順に、遺体が身内に引き取られていった。
 地元の火葬場は能力をはるかに超えていたので、千葉市や佐倉市に運ばれ、遺骨になり、地元に戻ってきた。

 それでも、なお数百人の行方不明者がいた。家族は淋しくて悲しいけれど、どこかで死を認めて区切りをつけた。否、1年半経った現在も、どこかで記憶喪失になって生きている、というかすかな望みを持って、死を認定しない方もいる。

「遺体が見つからなくても、霊がさ迷ってはいけない、葬ってあげよう」
 そのように区切りをつけ始めたのが、仏教徒の方々は49日、100日忌、お盆の頃(施餓鬼会・せがきえ)だった。

 各宗派の宗教家、宗教大学の学生たちが、早くから被災地に入って活動をしていた。むろん、海外からも宗教家が現地にやってきた。誠実に火葬や葬儀の相談にのり、遺族の心の安らぎに対応していた。

 一年経ったいま、私は被災地を歩いていて、首を傾げたくなる宗教家の話も聞かされる。
 宗教は社会秩序、法規制の枠から、ときとして治外法権になる。法的に訴えることも難しい。被災地の宗教とはいかにあるべきか。メディアは、宗教活動への介入だ、という批判を怖れて取り上げない。

「早く、ちゃんとした葬儀をしてやらないと、成仏しないし、地獄に行ってしまうぞ」
 脅しに似た、怪しげな宗教、偽ものの宗教家もかなり横行していたようだ。葬儀の方法などが指図された挙句の果てに、金銭が絡んでくるという。邪教というべきだろうが、当人がまじめな宗教活動だといえば、それまでだ。


 被災者たちは失望、落胆、悲しみの底に突き落とされている。茫然とした虚脱状態で、なにも考えられない。
「甘い言葉」、「恐怖をかきたてる」。これら偽物を見抜く抵抗力が弱くなっている。無防備になり、邪教とも疑わず、つい導かれてしまう。

 お寺と遺族との間でも、トラブルもあったようだ。「被災して、私たちは家も家財も何もない。身体一つで逃げてきた。それなのに、お布施をとるのか」
 こうした反発もあったようだ。
「お布施とは仏(死者)に水や食べ物を供養することです。お米一粒でも、お布施。1億円でもお布施です。差はありません」とある僧侶は教えてくれた。宗教は苦しむ人に対して、心に安らぎを与えるものだという。
 とはいっても、お布施=お金が俗的な考え方である。お布施をつつむ遺族は随分やるせない気持ちに陥ったと話す。

 良心的な僧侶もいれば、葬儀屋(営利企業)の先兵となり、金稼ぎとも思える金銭を提示する宗教家もいる。
 ふだん強靭な人も、ひとたび被災者となると、宗教的な二次災害に遭っている。宗教被害はメディアが伝えない。それだけに個々人が災害対策の一環として通常時から、用心と心構えが必要だろう。

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