A060-3.11(小説)取材ノート

小説取材ノート(21)気仙沼=漁師の死。こんな偶然もあるのか

 気仙沼海岸の桟橋には焼け焦げた跡が残り、ブリッジなどは未だ海中に落ちている。それら被害はなんど来ても修復されることはない。


 陸電設備の先には、見た目に古い漁船が接岸していた。どの船には船名と母港が明記されている。よくみると、北海道・道南の船だった。60代の漁師が岸壁で、細長い鉄材を切り、漁船の偽装工事をおこなっていた。

 どういう経緯で入手したのか。あるいはリースなのか、と気になった。
「北海道の漁船のようですが……?」
 私は声がけをしてみた。
「これは仲介業者を通して買ったんだ。震災でなくなったから。漁師はやはり沖に出ない、とな」
 その決断までには、一年あまりがかかった口調だった。

 大震災前は、男3人の兄弟が中型漁船で近海漁業で生計を立てていた。3.11で、大切な漁船を失ったという。
 一部の漁師は地震の直後、とっさに漁船を沖に出して(沖だし)、船体の難を逃れている。それは生死をかける危険な行動だ。
 多くの漁師は、わが身の安全第一で、漁船の沖だしなどせず、気仙沼湾に係留したまま、逃げた。それらほとんどの漁船が損失している。

「漁船をなくされたのは火事ですか、それとも津波で陸に打ち上げられたからですか」
「実は、うちの漁船は大船渡の造船所で、エンジンのオーバーホールをしてたんだ。大地震がきたあと、次男が漁船が気になるからといい、ここ(気仙沼)から車で大船渡にむかった。途中の陸前高田で、大津波に遭って死んだ。次男は船を心配して、津波で命を亡くした」
 そんな悲運もあるのか。

「気仙沼と陸前高田の間に、つい最近、トンネルが完成したから、気仙沼から時間が短縮された。むかしのように山越えなら、高田で災難に遭わなくてもすんだのに。便利になったことで、次男はちょうど高田の大津波に出くわしたんだ」
 と無念そうに語っていた。


 3人きょうだいの1人を亡くした。漁船もない。借金もしたくない。陸上の仕事を探してみたが、性に合わない。中古船の仲介の話があったから、この際は借金してでも、漁師をもう一度やろう、と決めたんだという。

 北海道から買い求めた中古船は、明瞭に語らないが、3~400万円の口調だった。
「この船を沖に出して漁をするまで、修理するところが多くてね」
 バッテリーは放電している。エンジンを回したが蓄電できない。いまトラックのエンジンを回して蓄電を試みているという。
「最悪は新品のバッテリーを買わないといけないね」
「レーダーなどは?」
「それは大丈夫だった。だが、魚探は使えない。われわれ被災者は安い漁船しか買えん。船具も傷んでいるし、何かと補修しなければ、使えないし、補修費が膨大にかかる」
 と嘆きながらも、コツコツと一つずつ修理していた。

「船名は変えるんですか」
「昔からの(屋号の)船名にするよ」
 その手続きは地元の海運局で行う、と説明してくれた。

 海岸には船名をペンキで塗り変えた、係留された船が目立つ。新居浜港が消されて、気仙沼と書き直された中型フェリーも停泊していた。

 私が話しかけた漁師は、住まいが海岸に近かったことから、津波で流出してしまった。いまは仮設住宅から海岸に毎日通ってきて、船の手入れをしているという。
「腰痛で、沖に出ると腰に負担になるけど、長兄ひとりじゃ漁船は動かんし。死んだ次男の分も働かないとな」
 生きていくためには腰が痛いなどと言っていられない、とつけ加えていた。そこには海で生きる男の厳しさが漂っていた。

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