A060-3.11(小説)取材ノート

小説取材ノート(20)気仙沼=神社ではお祭りのメドがたたず

 気仙沼は入りくんだ複雑な地形で、外洋の波が避けられる良港である。マグロ・カツオ漁船やサンマ漁船の基地である。

 湾内に突き出す、小さな岬(神明崎)には赤い浮見堂がある。岬の丘陵の階段を上ると、五十鈴神社である。関係者に聞くと、伊勢神宮の五十鈴川からの由来だという。

 境内には樹木が茂り、港を見下ろす景勝の地である。
 つつじが咲く、枝には、おみくじが雪の花のように数多く結ばれていた。漁師たちが出漁の折りには、安全祈願、出航祈願で詣でているという。

 3.11の東日本大震災のとき、気仙沼は大津波と石油タンクの大爆発で、最大の被害を被った。死者・行方不明者は1000人以上となった。
 同神社は港の中央の高台に位置するだけに視界が広く、被害の全体が見渡せたのではないか。目撃者に取材した。

 大地震に続く、大津波が来たとき、魚浜町の同神社に避難してきたひとは2-3人でしたという。ほとんどがおなじ町内の内陸側「茫洋」(ぼうよう)の丘に逃げている。

 港に突き出す同神社は目測すれば、海抜20メートルくらい。押し寄せた津波の高さからギリギリの高さで危うい。茫洋の方は裏山へと続くから、いくらでも高いところに駆け上れる。
「より安全なところ」という、逃げる者の心理からだろう。

 
 社務所で、当時の話を聞いてみた。大地震の後、室内では石油ストーブが倒れ、ヤカンが飛び散った。(耐震装置が働き、火は出なかった)。散乱した食器や家具などを片付けていたから、大津波の襲来には気づかなかったと話す。
 これには不思議な気がした。まわりが渦巻く大津波なのに……。

 夜になると、津波で流される船舶どうしがぶつかりきしむ音、コンビナートの石油タンクが爆発する音、さらには流れ出た石油が海面で真っ赤に燃えているので、空が焼け焦げているし、大変なことになっていると、気づいたと語ってくれた。

 昨年度は全国各地において、大震災で大勢の死傷者を出したことから、多くが自粛でお祭りなど行事を取りやめていた。震災後から一年経った今、各地で、お祭りが復活している。

「五十鈴神社は、お祭りはどうなんですか」
 そう質問してみた。
「氏子さんは魚浜町の方々が多く、亡くなった人も大勢います。そのうえ、家屋は流されたり、焼失したり、未だ市内のあちらこちらの仮設住宅で生活しています。呼び出してまで、お祭りは出来ません」
 同神社としては御神輿を出す、お祭りは未だに予定がない。お祭りは神社からの提案や声がけでなく、氏子からの申し出によるものです、とつけ加えていた。

 被災者の氏子たちは高年齢化している。そのうえ、失業の雇用保険は切れた。明日の食事はどうするか、生活はもとに戻せるのか、立て直せるのか、と深刻な悩みが続いている。一方で、身内、町内の知人には弔う人もいるし、お祭りをやろう、というお祝いのムードではないと話す。

 由緒ある神社にしても、お祭をどこで復活させるのか、まったくメドがついていない。神社の周辺が最大の被害地になったのだから、致し方ないという。

 被災地の祭りにも、大震災の深い傷跡が残っていた。

「3.11(小説)取材ノート」トップへ戻る