A060-3.11(小説)取材ノート

小説取材ノート(18)気仙沼・女川=大津波で命をかける沖出し

 大地震がくれば大津波がくる。漁師はそれを見越して漁船を守るために、すぐさま沖に出る。それを「沖出し」という。古来から現代まで、その沖出しが行われている。戦う相手は大津波である。転覆すれば、生命は亡くなる。
 そのリスクを考えると、漁船よりも命が大切であり、陸上の高台で身を守る方が賢明か。この選択肢はとっさの判断で決まる。

 私は3.11小説のなかで沖出しを組み込みたいと考え、気仙沼、女川(おながわ)、そして江島(えのしま・金華山の近く)の3カ所で取材した。「大津波」は語彙からくるイメージだと、大嵐の波浪のように巨大な数十メートルの波が襲いかかってくる、という認識だった。だが、沖出しの漁師から聞くと、海上の波などそう高くないと言う。

 被災地・女川の漁港で、40歳の漁師から「沖出し」について体験が聞けた。3.11の2時46分。陸より約200メートルほど沖で銀ジャケの養殖作業をしていた。突如として、船上でドドド、と地震の揺れを感じた。
 過去には船の上で地震など感じることはなかったという。
「これは大きいぞ、と思いました。陸の防災無線から大津波警報が流れた。ふだん作業中に聞き流しているラジオがなぜか鳴らなくなった。(放送局の問題か)。乗船する父親をまず陸にあげ、漁具を高台に移してくれと言った。自分は漁船を沖に出しました。二手に分かれたのです」

 牡鹿半島の沖約三キロの地点にまで行った。漁船が岬に近かったりすれば、大津波で陸に打ち上げられてしまうからだ。3日間はずっと沖にいたという。

「巨大な十数メートの波は一度だけです。船体が波に持ち上げられた後、落ちていく。このときは舵が利かないので、それは怖かった。あとは激しく渦巻く潮流との戦いでした。津波というと、波のイメージがあるけど、海洋では波など感じないし、激流が渦巻いている。そんな速い潮との戦いです」


 気仙沼港に係留していた、海上保安署の巡視艇「ささかぜ」 総㌧数 26㌧ 全長 19mも、大地震の発生と同時に、直後に沖だしをしている。海上保安官としては、警備艇を失っては海洋の人命救助活動ができなくなるから、それを守る必要があった。かれらは海のプロフェッショナルだ、「水深50メートル以上の海ならば、転覆被害がまぬがれる、と確信を持っていました」と語ってくれた。

 沖出しは、水深との兼ね合いがあるようだ。江島(えのしま)の30歳の青年から、沖出しについて話を聞くことができた。
 島では昔から、「津波で想定できる高さ3倍の水深がある海洋まで、沖出しすれば、漁船は大丈夫」と言い伝えられてきたという。
 金華山の沖合は水深が100メートル以上と深い。だから、津波予測が30mとしても3倍の水深90mならば、漁船は助かるので、金華山沖にいくという。

「大津波というと、波が高いイメージがありますが、水深が深いと、波の高さは低いのです。だけど、潮流はすごく早くなるのです。逆に浅瀬だと、その反対です。波が高くなるけど、潮流は緩やかになるんです」
 沖だしについては、海洋の深さが最大限に勝敗をわける。それに尽きるようだ。

「潮の流れば、すさまじいものですよ」
 江島の目撃者によると、太平洋から来た津波は島が流線形(船の船首構造と同じ)となり、左右に脇に流れていく。それだけに、潮流は勢いを増す。海面の岩礁で飛び散り、海水が茶色で、渦を巻いて流れていく。
「見ているだけでも、怖いです」と語ってくれた。


 女川の漁師は3日間沖出しの間、食べ物はまったくなかったし、水だけだったという。女川港に戻ってきた。
「女川の港も街も何もかも無くなり、ガレキばかり。嘘だ。こんなことが起こるはずはない。これは夢だ。夢をみているんだ、と何度も思いました。いまでも、沖出しの苦労よりも、廃虚の女川港を見たショックは忘れません」
 そう語ってくれた。

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