A060-3.11(小説)取材ノート

小説取材ノート(16)気仙沼大島が燃える=絶体絶命の3200人

 私は昨年から何度か気仙沼大島に取材で訪れている。島民からは「火事の時、逃げ場がないし、死の恐怖でした。消防職員も、消防団員も、住民も、仕事で島にきていた人も、必死で消火作業にあたりました」と話を聞いていた。

 大島在住の20-60代の働き手は毎日、フェリーに乗り、対岸の気仙沼市街地の水産加工業に働きに出ている。3.11の2時46分の島の状況となると、カキ養殖業者と、多くは子どもと老人たち。消火パワーの総合力としては弱く、3200人の島民は絶対絶命のピンチに陥ったのである。

 メディアは島に来ておらず、報道されない。島の緊迫状態は本土には伝わらず、自衛隊も、海上保安庁も現れない。

 北部の火は島の最高峰を越えて、島の南に向かった。このまま火が消せなければ、どうなるのか。「島民は追い詰められて袋の鼠で、生命を失のではないか」
 かれらは恐怖のどん底に突き落とされたのだ。

 それは3.11小説取材に折り込む必要がある。震災からちょうど1年後の3月末に、気仙沼消防署・大島支所に出向いた。同所の消防士長から、当時13人の消防職員と島民との4日間にわたる火との闘いを取材した。

 東日本大震災で、気仙沼港は石油タンクの爆発から、市街地が火の海になった。他方で、燃える漁船や養殖イカダが「灯篭流し」のように、大島水道に流れてきた。
 気仙沼大島の北部に漂着し、火の手が上がったのだ。そのあたりの海岸は荒波で削られた断崖であり、道すらもない

 電気は停電だ。電話も、ケータイも通じない。島と本州をつなぐフェリーの一隻は気仙沼桟橋付近で炎上し、もう一隻は同島の浦が浜で陸上約150メートル奥に打ち上げられている。漁船は打ち上げられているか、沖合に流されている。
 本州と連絡をつけられる手段は消防署の無線機だけだった。

 消防官は地震直後から、3か所の避難所を回る。大津波で家屋が流されて、死者も多数出ている。それらの対応の一方で、「煙が出ているぞ」という通報で、島北部に出向く。
 火の元が気仙沼市街地か、唐桑半島か、島内なのか、それすらも判らなかった。満足に道がないところなのだ。何回か、巡視に行く。一方で、大津波で大勢が被災しているのだ。

 3回目の北部偵察は3月12日の真夜中だった。午後23時40分。2人の消防官と駐在所の警察官と3人で燃える炎が確認できた。火はもはや海から道路まで、150メートルくらいの広範囲に拡がっていた。

 風が強く、たちまち亀山山頂からの稜線に近づく。消火活動としては、水産加工で使われる、(ワカメを洗う)水槽の設置を行う。それを消防車が水を吸い上げて消火をする。 道路から奥まったところは、(消防団が使う)小型ポンプで消火する。
「20t、40tが入っている水槽の真水を使い切りました。水がないと、火は消せません」
 消防士たちは最初の窮地に立った。

「建設会社の協力で、生コンのミキサー車で海水を入れて運んでくれました。とても助かったし、住民がこんなにも協力してくれるんだ、と感動しましたし、絶対に消してやるぞ、消防職員としても士気が上がりました」
 消防職員は語る。

 火災の性質として、腰から下の落葉が燃え拡がる。立木が燃えて炎がぱちぱち舞い上がる山火事とは違う。火が這(は)って不気味な勢いで押し寄せてくる。
 風とともに亀山の山頂に、火が迫ってきた。さらに、山を越えて南側に降りはじめた。

 火は大島神社に近づく。消防士たちは山麓の建物に放水する。限られた13人の消防士だから、広域な消火はできず、点と点で移っていく。
「山の放水は簡単にできません。山だから平地と違って、簡単に移動できない。こっちを消して、あっちに行く。『転戦』(てんせん)といい、ホースの水を抜いて軽くし、改めて延ばすのです。角度のある山ですから、足場を固めながら下り、また登って。凄い疲れます」
 さらには急斜面の樹の間を縫って、ホースを延ばす。放水がはじまる。消防士は不眠で体力消耗が激しくなる。

 この間に、亀山レストハウスが燃える。さらには、観光リストを伝わって、火が島の繁華街にむかって下ってくる。最悪の状況に陥りはじめた。

「大島を助けてください」
 島の消防幹部が切迫感から消防無線で、東京消防庁の防災ヘリを要請する。600ℓバケットで空中から散水する能力がある。その効果が期待できる。

 しかし、当時は気仙沼の市街地も石油タンクの爆発で、激しい空爆状態に陥っている。消防は人命救助が最優先だから、気仙沼市街地のビルに取り残された人たちをつり上げている。
 

「なにか手伝わせてくれ。おらたちにも」
 住民たちが集まってきた。そこには小中学生も、お年寄りもいた。

「嬉しかったです。しかし、 住民には危険なことをさせられない。消防職員としても消火活動が精いっぱいでした。いくら手助けしたいといっても、大勢のひとの管理は出来ない。住民が消火活動で危ないところに行っても、目配りができない」
 消防士として、13人の手だけでは、燃えて中央部に迫ってきた火に対して、自分たちだけでは止められないと判っていた。本州からの支援はない。
 そんな困惑状態が生じていたのだ。

「元気なのに、ただ避難所にいて、火が迫ってくるのを見ていられないんだ、おらたちは」
 島民の気持ちは痛いほどわかる。
「けが人が一人でも出たら、火との闘いは負けなんです。人の命を守るのが、消防官の最大の責務ですから。まして、夜間は危険ですから、消火活動などはさせられない」
 
  その時、地元消防団員からある提案があったのだ。


        写真提供:気仙沼大島国民休暇村・伊東勝正さん

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