A060-3.11(小説)取材ノート

小説取材ノート(6)塩釜=ボランティアを装う泥棒

 小説の取材で、被災地に入るのは2度目である。今回の大震災では、消防団員の犠牲者が多かった。
 松島湾に突起した半島の、七ケ浜町にすむ消防団員・鈴木一哉さん(仮名・40)から取材協力が得られた。生々しい犯罪の実態を知ることができた。

 大津波は松島の島々が防潮堤代わりになり、津波の被害が出ていない。地震による半壊、倒壊のみである。反面、外洋に面したところは強烈な大津波に襲われ、大勢の死者と行方不明者を出している。

 鈴木さんは地震直後に勤務先から帰路についた。仙台市内が交通渋滞で、帰宅できたのが真夜中。自家は松島湾内がわで、家屋の損傷だけで、家族は無事だった。
 すぐに消防団員として、外洋側の救助に向かった。それから3日間は自宅に帰る余裕すらなかったという。

 外洋がわの集落は大きな被害を出していた。標高13メートル地点で警戒していた、消防ポンプ車が流されて死者が出ている。大津波はそれ以上の高さだったのだ。
 
 鈴木さんたち団員は夜明けとともに捜索活動に入った。都度、余震による恐怖があった。「家屋の倒壊の瓦礫と、ヘドロと、釘が足に刺さるし、なかなか先に進めませんでした」と話す。
 自衛隊が遺体を発見すると、消防団員が遺体安置所に運んでいく。彼はその車の運転が主な役目だったと語る。

 農家や漁業が盛んな地区だけに、米や食料は持ち寄り、婦人部の炊き出しで、自給できた。ただ、電気や水道がない、ガソリンは不足し、不自由な生活には変わりがなかった、と話す。

 鈴木さんは消防団員として本部・分団の無線傍受から、数々の犯罪情報を得ていた。

 警察の手が回らない。夜間は無電灯で真っ暗だから、泥棒がずいぶん横行していたようだ。
 とくに塩釜は仙台市内から近いために、トラックで乗りつけた、組織的な電化製品泥棒が多発したという。松島湾がわの電気量販店は、津波に遭っておらず、せいぜい高潮で一階売場の浸水ていど。 ところが水ぬれしていない2階以上の売場の電化製品がそっくり盗まれていたのだ。

 業務用食肉スーパーの冷蔵庫もすっかり空になっていたという。

 鈴木さん自体にも目撃談があった。「水没した乗用車の近くまで足跡があり、財布やバッグが車外に散らばり、お金はすべて抜き盗られていました」と話す。

 無線で聞いた情報は多い。「ボランティアを装い、『おばあちゃん一人なの、大変だね』と話しかけられた家は夜襲われる、という被害が続出していたようです。夜、電気がないから、女性のレイプ被害も無線で流れていました」と話す。

 全団員には「怪しげな人物には声がけをするように」と指示があった。
 被災現場でウロウロしている人物に声をかけると、ボランティアできたと応える。「くわしく訊くと、『邪魔なら帰ります』とすぐに引き揚げる。あるものは、『写真を撮りにきた』と話す。まるで物色しているようだった」と鈴木さんは話してくれた。

 ある者は親戚の安否を確認しに来たという。その住所を訊くと、「ここは塩釜市でなく、宮城郡なんですが、満足に答えられない。つまり、でたらめなんです。声かけすれば、すぐに目の前から立ち去ります。犯罪目的は見えみえなんです」と当時を語る。

 陸に打ち上げられた漁船は最も狙われた。船外機のガソリンが軒並み抜かれていたという。

 被災地の犯罪はとかく外国人だと言われがち。しかし、「声がけ」のやり取りが日本語である以上、日本人の犯行だと断定できるだろう。

 消防団員は死者や行方不明者の捜索だけでなく、警戒し、「町を守る」という大きな役目があった。「警察からは危険だから、捕まえようとしないで、声がけで止めるように」と指導がありました。鈴木さんは、被災地で横行していた窃盗について語ってくれた。

 先々の取材でも、盗難の被害を受けた人が多かった。『日本人の秩序の正しさなんて、あんな報道なんて嘘っぱちですよ』というメディア不信の声が思いのほか多かった。


被災者のプライバシーの尊重、および取材源の守秘義務から仮名としています。

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