A035-歴史の旅・真実とロマンをもとめて

みちのくには黄金文化があった。その謎とは? = 玉山金山 (下)

「平治の乱」の後、源義経は京都・鞍馬山から、ひそかに平泉の藤原秀衡のもとに下り、保護されていた。
 治承4(1180)年に源頼朝が挙兵したとき、弟の義経は平泉から奥州各地の兵をひきつれながら、鎌倉にかけつけた。
 福島からは佐藤継信・佐藤忠信のきょうだいが加わった。有名な話である。

 わたしは子どものころから、義経が源氏の直系というだけで、屋島、壇ノ浦とつづけざまに平家を打ち倒すほど、武士があつまてくるものなのか、と疑問に思っていた。


 作家になってからも、「源義経」はまず書けないな、と決めつけていた。
 なぜならば、平泉からあつまる兵が膨張し、「平家に非ずんば人に非ず」という強敵を倒す。このままのストーリーではリアリティーの欠片(かけら)もない。戦術が巧い武将の義経だけでは、漫画チックだろうと思っていた。

「そうか、玉山金山から産出した金を、奥州から数多くの馬に積んでいく。そして、各地の豪族を金で買収しながら、兵を増やしていったのか。しょせん戦争は金しだいだ」
 と思うとすっきりした。

 平家が倒れた。義経は持参した金を使いつくしてしまった。となると、天下を取った頼朝としてはもう不要の人材だ。義経を消しても、みちのくの金山を奪い取ってしまえばよいのだから。

 謎が解けた心境だった。


 時代は移り、秀吉、家康の時代になっても、この玉山金山は存在していた。

『明治37(1904)年には、高橋是清がこの玉山金山を抵当にして日露戦争の軍資金に欧米から8億円の借入をしている』

 立札の説明文から、物書きとして、ある種のひらめきがあった。

「そうか。三国干渉したロシアへの憎しみ、恨みがあったから、民意が強くて日露戦争が起きた、と学校でおそわった。しかし、お金がなければ、ロシアと戦争ができなかったのだ」

 あたりまえのことだが、この場ではっと気づかされた。後日、日清戦争を調べると、外国から金を借りてきて戦争をしている。
 経済の視点からみると、歴史の見方が変わってくる。通説とはちがう、新発見があるかもしれない。みちのくの謎が、歴史の謎解きに結びつくかもしれない、と気持ちが高まった。

 こんな山奥で働いた労働者(鉱夫)たちは、賭けごとに誘い込まれて、日々の稼ぎを博徒に奪われていたのだろう。それはかんたんに想像できた。ここに飯炊き女か、遊女とかを登場させてうごかせば、小説になっていく。
 

 幕末の倒幕の金はどこから出てきたのか。数十万両の軍資金がなければ、徳川家打倒など、できるはずがない。イデオロギー、主義主張だけで、いのちを賭ける。それは歴史のきれいごとだろう。
 
 前々からの疑問が脳裏を横切った。桂小五郎は池田屋事件のとき、対馬藩にかくまわれていた。禁門の変の後、かれの逃亡を手伝ったのは、対馬藩だった。なんで、こうも幕末の小五郎の目が対馬藩に向いているのだろうか。

 玉山金山を歩きながら、「そうか、金か」とおもわず手を叩きたくなる気持ちになった。伊藤俊輔(しゅんすけ)、井上聞多などは、イギリス留学費用を受け取ると、品川の遊郭で500両(現在、約4000万円)を使い切ってしまった。どう補てんしたのか。帰国してからも、俸禄がわずかな下級藩士が、京都祇園で、芸妓と派手に遊びまわっている。
 その金の出所を突きとめれば、それが歴史をうごかしているのだろう。

 
 大政奉還の後、戊辰戦争がおきた。西国雄藩の各隊は粗末な絵地図で、よく間道など抜けて関東・東北の各地を攻め入ったものだな、とおもっていた。

 主要街道をまともにいくと、地の利で劣り、狙い撃ちされる。金山のような山奥の僻地ではたらく男ならば、ちょっと多めの金で抜け道をおしえてくれるだろう。全国の宿場にはかならず博徒がいた。かれらも金でうごくだろう。

 歴史は表舞台だけではない。陰の存在、裏舞台の人物がいなければ、芝居が成り立たない。そういえば、桂小五郎は坂本龍馬宛ての手紙に、「芝居にたとえて、板垣退助を舞台に立たせてほしい」、と書いている。(実在する)。


「日本を洗濯する」
 そんなきれいごとよりも、長崎の鉄砲密売人が闇で儲けた金で、政治家を裏でおもうままに買収する。金で従わせる。そう説明したほうがリアルだ。

 無理して、ほら吹きの勝海舟(氷川清話)とイデオロギーで結びつけなくても、『闇の人間ほど金でうごく』と単純化したほうが説得力がある。

 おもいがけず訪ねた玉山金山は、こうした歴史の解き方をおしえてくれた。わたしの記憶にながく残るだろう。
 

 

 

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