A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

身が引き締まる 青山貴文 

 夜、9時半ころだった。2階の書斎の子機の電話が鳴った。階下の居間の妻が親機を先に取り上げた。
「中央警察署から電話よ」妻の声が、いつもと違って、緊張している。
 何の用だろう、と電話の相手を切り替える。最寄りの警察署の、野太い警察官の声が恐縮している。
「青山貴文さんですね。今日、検問した木村巡査長です。罰金を支払われましたか?」

 今日の昼間、東松山市の高速道路を降りた先で、25キロオーバーのスピード違反でネズミ捕りに捕まった。どうも、そのときの巡査長かららしい。

「郵便局へ支払いに行きましたが、夕方4時を過ぎていましたので、今日の支払いができませんでした」
「そうでしたか。実は、靑山さんの免許証の有効期限が切れていることが判明しました。夜分すみませんが、これからお宅へ伺ってもよろしいですか?」
「本当ですか。ちょっと待ってください。今、確かめますから……」

 免許証を手にとって、良く見ると、平成27年11月の私の誕生日が有効期限になっている。

 今日は平成28年7月29日。有効期限が切れて、すでに9カ月以上も経っている。この間、無免許で運転していたことになる。
「仰るように、期限が切れていますね。お手数かけて誠にすみません。お待しておりますので、いらしてください」
 と、私は、かしこまって承諾せざるをえなかった。 
 妻に、電話の内容を伝えた。
「あなたは去年10月ころ、高齢者講習を受けて、終了証明書をもらったでしょ。A4サイズの封筒に入っているはずだから、その証明書を探しておいた方がいいわよ」
「そういえば、そうだったな」
 その証明書を警察署に持参して、免許の更新をすべきであった。それを完全に忘れていた。そろそろ免許書の更新の通知のハガキが来るころと思っていた。

 机の引き出し、本箱、書類の積んであるところをくまなく探す。これから起こることを考えると、冷や汗が出てくる。汗びっしょりになって、やっとその書類が入った封筒を見つけだした。
 その封筒には、免許の更新通知のハガキも同封してある。本来ならばカレンダーに、講習日と更新期日とをメモするべきだった。
 その時は、後期高齢者の講習日が当面の大切な予定だとカレンダーには記入した。片や、免許更新日は、講習会後に記入すれば良いと軽く考え記入していなかった。

 講習会後、免許更新する日はすでに記入してあると勘違いして、カレンダーに明記しなかった。そんな経緯から、警察に行くことを完全に忘れてしまった。
 カレンダーに記入してあるか否かを、なぜチェックしなかったのか、いまさらながら、軽率な自分が残念で、無念でしょうがない。

 しかし、中央警察署の警察官が何のためにこんな夜遅くにやってくるのだろう。明日は土曜日で、その警察官が休みだからなのであろうか。
 あるいは、先方も、チェックミスで、無免許違反を帳消しとしてくれるのかと、はかない望みをもって待つ。
 夜10時過ぎ、木村巡査長が、もう一人の警察官を伴って、玄関先にやってきた。客間に丁重に、お二人をご案内した。
「いやア、昼間お会いしたとき、青山さんの温厚な受け応えに、免許証が正しいものと思い込みました。良く見なかったので、こんなに遅くお邪魔することになりました」
 電話の応対時と同じく、すごく下手に出られている。
「私は、最近記憶が吹っ飛んでしまうことがあるのですよ。免許が切れているとは、まったく思いもよりませんでした」
 と、巡査長の質問に気まずい口調でお答えする。

 彼は、ボールペンで青色のA4サイズの申請書に、免許のチェック時のいきさつをこまごまと、私に確認しながら書いている。最後に、私の同意を求めて、認め印を捺してくださいと丁寧にその書面を提示する。ひょっとすると、無免許を許してくれるのかもしれないと淡い期待が脳裏をよぎる。
 数日経って、中央警察署から通知がきた。
『平成29年1月末日までに、免許証を取得するように。ただし、無免許期間が1年未満なので、仮免許は免除いたします』
 覚悟していたとはいえ厳しい通告であった。
 木村巡査長が夜中にやってきてまで、細かいことを書面に記述していった理由が分かったような気がする。
 免許証の再取得のために、学科試験並びに実技試験に、思わぬ苛立たしい時間と大きな経費を費やさざるをえなかった。
 あれから、1年半が経った。今でもカレンダーへの記入忘れを思い出すと、うかつさで身が引き締まる。

          イラスト:Googleイラスト・フリーより

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