A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

幻の人気もの「つくし」  石川 通敬

「目黒区のいきもの八〇選」には、区内のいきもの三〇〇〇種の中から区民が「未来に伝えたいいきもの、戻ってきてほしいいきもの」の投票結果がランク付けされている。

 驚くことに、その一五位がつくし(早春の野草スギナ)なのだ。区内では「草の生える土手などが減り、見ることが少なくなっている」と評している。
 しかし、目黒の現状は幻の存在になっているというのが実感だ。区民が、どういう思いで投票したのか、理由を知りたいが、我が家には歴史と理由が明確にある。

 実は毎年3月が近づくと、
「今年は、いつ頃どこに行こうか」
 という会話が、妻との間で始まる。目的はつくし採りで、我が家の年中行事なのだ。

 結婚して間もなく、昭和50年代に母が我々を、実家の近くにあった荏原製作所の藤沢工場の敷地一面に生えているつくし採りに誘ってくれたのが始まりだ。
 以後、その魅力のとりこになり、40年以上夫婦でつくし採りを楽しんできた。こんなに長く情熱をもって続けて来られた理由を深く考えたことがなかったが、最近、それは妻が摘み草の虜になったからだったと悟ったのだ。


 今回つくしのことを書いていたところ、突然彼女が結婚したころのことを話し出した。
「私は、神田駿河台に生まれたから、結婚するまで摘み草をしたことがなかった。だからつくし採りに誘われた時、こんな楽しいことがあるのだと初めて知り感動したの」
 毎年積極的に行動を共にし、いろいろ提案する妻を見ると、心底楽しんできたのだと 改めてよかったと思う。

 なにがつくし採りの魅力かというと、自分で探し,採らないと手に入らないものという現実が、第一の理由だろう。

 八百屋で売っていない上、たまにデパートで売り出されても、高級料亭向けとしか言いようのない高価な値段で、しかもほんのお印程しか並ばない。とても買う気がしない食材だ。
 第二の理由は、これがより重要だが、醤油味でゆであがったつくしが、何にも代えがたくおいしいからである。酒の突き出しとして抜群にうまく、ご飯と食べると、何杯でも食べられる。
 一週間は毎食楽しめる。

 第三の理由は、この醍醐味を味あうには、並々ならぬ努力が必要だからだと思う。苦労の始まりは、まとまった量が取れる場所とタイミングを見つけ出すこと。次の苦労が採るのに時間がかかることだ。
 しかし、苦労はこれで終わらない。大量に取れれば採れるほど後の処理が大変なのだ。ゆでる前にごそごそとして食べられない袴を取る必要があり、これに時間がかかる。
 大鍋一杯分となると2、3時間はゆうにかかる。

 採取場所は、藤沢周辺から始まったが、近郊の田畑の都市化が進むにつれ、新天地を見つける必要に迫られた。丹沢の麓や北関東に出かけて探しても、なかなか取れる場所が見つかず、苦労する年が大半だった。
 やっと見つけると、この時とばかり地面にへばりついて採る。
「もうそろそろやめよう。このくらいでいいだろう」
 と、どちらかがいうと
「待って、もうひとつ頑張りしたい」

 と言う返事をどちらかがする。
 その結果、毎回2時間程度、土手や、畑のあぜ道を、場所を変えながら探すのだ。

 こんな苦労の中、偶然最高品質のつくしが群生している場所に出会うことが数年に一度ある。しかし皮肉にも、ほとんどの場合仕事で移動中の発見で、手が出せず悔しい思いをしてきた。
 そんな中現役時代にも忘れえない嬉しい思い出が一度あった。それは娘が仙台に勤務していたとき休暇を取って出かけた東北旅行の時だ。
 途中、桜の名所として有名な白川の土手で出会ったのだ。

 桜にはまだ早かったが、昼食後散歩を始めたところ、一面に最高級のつくしが生えていたのだ。この時は無我夢中で、途中声を掛け合うこともなく、小1時間二人で採りまくった。
 気が付いた時、ビニール袋5個がずっしり重くなっていた。

 ここで採れたつくしは大半が、生涯初めて出会った最高品質のものだった。
 胞子が収まっている穂先が、のびやかで、大きく、ぎっちり胞子が詰まって適度に固く、浅いウグイス色をしていた。
 またその茎も、うすピンク色で柔らかく、すっきりとみずみずしいものだった。幸運だったのは、その日の宿泊地が、娘がいる仙台だったのである。
 マンションの台所を借り深夜まで袴取りをし、無事東京に持ち帰ることができた。

 振り返えるとつくしは、夫婦が共有できたよい趣味だったと思う。
 第一線を退いた現在は、つくし第一で春の日程が組めるようになった。ここ数年蓼科、諏訪、長坂を開拓してきたが、今年は百歳クラブのコンペでおなじみの大厚木ゴルフクラブ近くの原っぱを開拓するつもりだ。

 一つ残念なのは、母が伝えてくれた江戸時代からの素朴な食文化が、我々とともに消えゆくことだ。
 機会を見つけて、目黒区に働きかけ、幻の人気ものの復活と、現代食生活のメニューに取り込む方法がないものか、提案してみたいと思っている。   

       イラスト:Googleイラスト・フリーより     

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