元気100教室 エッセイ・オピニオン

緩やかなカーブ   吉田 年男

 神田駿河台下の三省堂出版部だった。バイトの仲間は、明治、中央大などの文系の学生が主であった。当時文系の学生の多くは、マージャンをやったり、映画を見たりして、学生の身分を利用して時間的に余裕のある生活をしているように思えた。

 そのなかで法学部のK君は、時間を惜しんでは司法試験の勉強をしていた。理系だった私は、授業について行くのにやっとで、時間的に余裕がなかった。お互いになんとなく話をするようになった。昼飯は駿河台下交差点の信号を渡った角の洋食店に、二人でよく食べに行った。

 仕事も慣れてきたときに、彼と一緒に通信販売の業務をすることになった。
 当時の通販とは、手紙で注文を受けていた。封書の中身は、本の名前が書かれた便箋と代金の切手がはいっていた。本の名前と冊数などを確認して、売上伝表を作成し、倉庫から本を受け取る。そして郵便局から注文主へ発送する。
 売上伝票を書くときは、声を出しながら作業をするようにとの指示があった。彼が読み手で、私が台帳に記帳する係りになった。


 彼は事務所に居る人によく聞こえるように、大きな声で伝票を読み上げる。その声は朗朗として滑らかで聞き取りやすい声だった。

 K君の訃報が届いた。喪中はがきでの連絡であったが、差出人はK君の奥さんだった。奥様やお子さんからのものがよく来るようになった。自分が後期高齢者の年齢をすぎていることを再確認させられた。
 と同時に訃報をみて、大きな声と屈託のないK君の笑顔が浮かんだ。あらためてもっと頻繁に会っておけばよかったと思った。

 今でも忘れられない。喪中はがきを見たときに、学生アルバイトをしていたときの声が聞こえてくる気がした。不思議な気持ちになった。
K君との記憶は残念ながら頭の中だけのことだ。街並みは変わっているだろうが、彼と一緒に居たところは実在している。急にその場所に行ってみたくなった。
 郷愁を感じながら、靖国通り、駿河台下交差点まで来た。斜め前にバイトをしていた三省堂の建物が見える。建て替えられていたが場所は変わっていない。
交差点から淡路著方面に向かっての緩やかなカーブ。その場所に身を置いてみると、路面の起伏、位置関係などが、当時と変わっていない。今立っているところが不思議なくらい昔の儘に見える。
よく通った洋食店の所は、ハンバーク店になっていた。たくさんの若者たちがその前を行き交う。風景は変わっても、街を包みこんでいる空気、靖国通りを行き交う車の音などは、臨場感を持って当時を思い出させてくれる。駿河台下交差点からみえる緩やかなカーブは、K君との思い出として強く印象に残った。

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