西南戦争の激戦地・田原坂を訪ねる = 浦沢誠
更新日:2016年7月29日
鹿児島で2泊し、地元の有志の方々と親睦を深めた。2016年7月21の早朝、郡山邸を発ち、田原坂(熊本県)に出むいた。
伊集院駅から、各駅停車、新幹線で熊本、さらに各駅停車に乗り継ぎながら植木駅で下車した。
植木駅前からタクシーに乗った。運転手には、多少は遠回りしてもいいから、激戦地を案内してほしい、と依頼した。
植木の周辺はほとんど激戦地だった。一の坂、二の坂、三の坂の地形の説明を受けた。
「道幅が狭く、薩摩軍が待ち伏せし、大砲を運ぶ政府軍に襲いかかった」
越すに越されぬ田原坂とは、政府軍の歌だった。
その実、蜂起した薩摩軍が熊本まで来て、田原坂が越えられず、敗戦になったのかと思っていた。
西南戦争(1877年)とは何か。
『旧薩摩藩士を中心とする士族が、明治新政府の専制的な政治に反対して起こした、国内最後の内戦で、明治維新の総仕上げであった』
訪ねた熊本市田原坂西南戦争資料館では、そのように表示されていた。
一般には、兵士の軍服の差、装備の差が勝敗を決したと言われているが、当時は国内に通信網が張り巡らされている最中で、熊本と東京は通信回線があった。兵士、弾薬の追加補充の連絡が即日にできた。
情報の差が、政府軍と薩摩軍の差になった。
現代の情報戦争の走りかも知れない。
同館は昨年11月にリニュアルオープンした。
銃弾の飛来音、砲弾が着弾した振動など、激しい戦いの体験・体感ができるジオラマ(広さ25平方メートル)がある。