A020-小説家

講演「知られざる幕末の芸州広島藩 神機隊の活躍」=広島市・船越公民館で

 広島市・船越公民館で、4月15日(日)午後1時半から、講演「知られざる幕末の芸州広島藩 神機隊の活躍」が開催された。参加者は160人で、会場は満員だった。
 主催は広島市・船越公民館、共催として海田市公民館、船越地区老人クラブ連合会、幕末芸州広島藩研究会である。

  午前中は10時から2時間の「海田の歴史ツアー」が開催された。町内の旧千葉家とか、高田藩の藩士が眠る明顕寺とかをまわった。協力は西国街道・海田市ガイドの会、船越誰故草保存会、㈱ミックスである。

午後の講演に先立って、「海田市ガイドの会」が、第二次長州戦争で敗走した高田藩と、帯陣していた海田市(現・海田町)との関連を映像で15分ほど流す。

 明治時代に活躍した最後の浮世絵師といわれる揚州周延(ようしゅうちかのぶ・本名は橋本直義)が高田藩士として参戦しており、海田市から厭戦気分の手紙を江戸に出している。それらを絡めた幕末史の紹介があった。

                 *

 私の講演は、主として「なぜ広島藩が幕末の歴史から消されたのか」という疑問から語った。広島県出身の私が、幕末の広島藩の活躍にたどり着くまで、およそ7-8年かかった。その過程、ふだん聞けないとおもう作家の取材方法と足取りを語った。

 広島城下の武家屋敷があった市内は、どこにいっても、浅野家の史料は原爆投下で無くなったという。学芸員すら幕末史を研究する意欲を持っていなかった。大学から小学校まで、だれも教えない幕末広島藩だった。領主が浅野家だったと、それらも郷土史で学んでいない。
 広島人の歴史家すら、戊辰戦争で活躍した「神機隊」の存在を知らないのが実態だった。

 私自身も、だれもがいう幕末広島の歴史が原爆で消えた、とおもい込んでいた。かたや、まだ幕末から150年だ。「必ずや広島県下には史料が残っている」と信じて、取材で歩きにあるいた。

 やはり、150年では歴史は消えていなかった。広島藩の浅野家の藩校だった「修道学園」にたどり着いた。幕末の広島関連史料がおどろくべき大量に保管されていたのだ。頼春水、頼山陽、阪谷朗廬、浅野家の歴代藩主たちの直筆、藩士たちが学んだ朱子学、四書など教材などが、資料室一杯にずらっと並ぶ。胸が高まり、感動した。
「原爆が投下される数か月前、学校疎開していたんですよ」
 私は幕末・広島藩に近づけたのだ。原爆で消えていなかったと、大きな勇気づけになった。幕末からまだ150年だ。それを信じてよかった。


 ふしぎなもので、運が向くと、広島藩・浅野家の家史「芸藩志」が私の目の前に現れたのだ。明治政府が封印した広島藩の幕末史で、300人が編さんに関わったものだった。
 
「広島藩の幕末史は原爆で消えたのではなく、人為的、政治的に、歴史のねつ造があった」
 それが明確になってきた。
 芸藩志は東京の公立図書館の書架にもあった。著作権・50年が切れているので、コピーは自由にできた。
 それを熟読するうちに、芸州広島藩の浅野家が倒幕の魁(さきがけ)になった、と明白になった。
 薩長芸軍事同盟の時点から徳川政権の打倒、という倒幕へと進んだ。それにもかかわらず、明治時代になると、芸州広島はずしが作為的、ある意味で悪質な歴史のねつ造がおこなわれた、と私は確信をもった。
 

 講演では、「倒幕の主役は広島藩だった」と実証できましたと、取材からの経緯と広島藩の掘り起しを語った。皆、熱心に聞いてくれていた。そこで前半の区切りを入れた。

                *

後半は、160人にいきなり、こう訊いた。
「長崎に歌がたくさんありますよね、長崎の鐘、長崎は今日も雨だった、……。広島になぜ歌がないのですか」

 8月6日、8月9日、数日の違いで、ともに被爆で全市内が灰塵になりました。

 長崎にはいまだに幕末の歴史が一杯あります。オランダ坂、グラバー邸、長崎奉行所跡、出島跡、教会、丸山、長崎造船所など。歴史には情感・情緒、旅情があるのです。
 
 長崎は歴史が旅人を呼び込み、情愛・情景の歌を創りあげています。

 ところが、広島は明治政府による歴史抹殺で、歴史ロマンが消されてしまったのです。広島県民は江戸時代などまったく知らない。その結果として、長崎には歌があり、広島には歌がないのです。


「幕末からまだ150年です。遅きに期したことはありません。歴史の旅ロマンは、これからでも掘り起こせます。縮景園、広島城、護国神社、鉄砲町という町名の由来、頼山陽の生家、横川の大雁木、……、そこに立てば、幕末の知識があれば、その歴史がほうふつしてきます。いにしえが忍ばれる。こころに染み込む情感が感じられるのです」

 私たちの世代が、これから芸州広島藩の活躍を掘り起こし、それを子供たち、孫の世代へと伝えていく。
 広島にも胸を張って伝えられる歴史ロマンの歌も、詩も生まれてきます。

 わたしの著作「広島藩の志士」、「芸州広島藩 神機隊物語」が出版されたばかりです。広島のひとはこれまで幕末史に関心がなかった、無関係だと信じ込んでいただけに、歴史用語からしても、読むには苦労するでしょう。
 しかし、わが故郷の歴史です。読んで、感じて、そしてみんなで広島藩を話題にしてください、と述べた。

            *
 
「倒幕の主役は広島藩だった」
 それはウソ偽りではない。歴史的な事実である。
 広島県民はこれから江戸時代の芸州広島藩・浅野家の活躍を語れるのだと、参加者らは誇らしげな顔だった。


【関連情報】

 講演の写真提供:土本誠治さん

 写真・紫色の花が、「誰故草」です。
「神機隊物語」(第8章・雨中の上野戦争)で、神機隊隊長と揚州周延(橋本直義)との関連で、誰故草が登場してきます
  

「小説家」トップへ戻る