A040-寄稿・みんなの作品

長続きの訳は 吉田 年男

 いま、私が続けていることの一つにウォーキングがある。少しでも時間が取れそうなときには、なにをさておき、家の周りを気軽に一回りしてくる。ひとまわりといっても2~30分ほどで、距離にして3000歩くらいか? 近所のこの程度の歩きでは、ウォーキングとはいえないかもしれない。

 ほかに、隔月に一回、江戸東京歴史探訪と称して、主に都内の由緒ある神社・仏閣などをめぐるウォーキングの会に、参加させてもらっている。

 2009年5月、杉並区主催の「知的好奇心生活を始めよう」という集まりがあった。キャスター・リポーターの 東海林のり子氏による「好奇心からすべてが始まる」という講演を聞いた。ウォーキングの会は、この集まりが誕生のきっかけになっている。

 その時に用意されていた「応援教室」に、マージャン、江戸・東京を歩く、読み聞かせ入門、パソコン、ダーツ等があった。
 集まりに参加していたのは、60歳~70歳前後のひとたちであった。区としてはこの集まりをきっかけに、各「応援教室」からの自主グループが立ちあがることを期待してのことであったように思う。

 私は、幼少のころから東京の町並みには少なからず興味があった。迷わず応援教室の中にあった「江戸・東京を歩く」を選択した。
「江戸・東京を歩く」グループに集まった人は、男女半々で20名ほどであった。
一週間後に、「江戸・東京を歩く」グループは、徳川記念財団の学芸員から、「篤姫の生きた江戸・東京を歩く ~調べて・歩いてその魅力を再発見~ という資料をもとに、江戸市中の話を聞く機会に恵まれた。そのあと、場所を杉並保健所に移して、五人一組の四班に分かれて、班毎にコースを決めて都内を歩き、歩いたコースの紹介のような発表会を何度か繰り返ししたことをおぼえている。

「江戸・東京を歩く」グループに集まった人は一年後には、十名ほどになった。
残ったのが、今のウォーキングの会のメンバーたちで、年齢もだいたい同じくらいの仲間だ。
とりあえず会の名称を何にするかを話し合った。2008年1月から始まった、NHKの大河ドラマ、天璋院「篤姫」にちなんだ名前がいいのではないか。ということで、「於篤の会」に決まった。於篤の会は、今年で12年目になる。

 会の運営は、あえてキーマンを作らず、幹事は三人一組で、(そのうち一人は女性)で一年を通して輪番制にした。そして、一年後にまた新しい組み合わせで、幹事を決める。
ウォーキング計画の当番になった幹事は、次回歩くコースを話し合って決める。コースが決まったら、昼食はどこでするかなど、予めコースを幹事3人で下見をする。そして、コースの地図を添付した計画書を作って、定例会にて全員に発表する。

 定例会、ウォーキング、定例会、ウォーキングと、歩くのは隔月にして、1年に6回になっている。

 コロナ禍で、ちょうど一年前から、まともなウォーキングは全くできなくなってしまった。今年、四月になって久しぶりに歩くことに決めた。今までより、内容が乏しいが、冊子「すぎなみ景観ある区マップ」和田・堀ノ内編の一部を歩くことにした。
 コロナ禍以前は、昼食はファミレスなどですることが多かったが、天気もよかったので、各自コンビニでおにぎりや弁当を買って、済美山運動場に隣接した芝生で、ひとやすみしながらの昼食になった。それでも久しぶりの気晴らしウォーキングが実現した。

 このコースは、「和田・堀ノ内編」をできるだけ時間短縮して幹事(私を含めて三人の輪番制幹事)が、今年一月の定例会で「第六十八回ウォーキング計画書」として、会のメンバー全員に発表したものであった。

 緊急事態宣言が出ている最中は、外出も儘ならない。計画書は作ったものの、未実施のコースがまだ数件ある。しばらくは新しく計画書は作らず、すでに計画したコースを、歩く距離と時間を短くアレンジをして、歩こうと皆で話し合って決めた。

「於篤の会」が、長続きしているのは、あえてキーマンを置かずに、幹事は輪番制にして、歩く距離や時間はその場に合わせて、あまり堅苦しく考えないで、臨機応変に行動していることかもしれない。

                    イラスト:Googleイラスト・フリーより

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