A040-寄稿・みんなの作品

記憶の計らい 金田 絢子

 つい先日(令和3年3月)、スペインのアンダルシア地方に旅したときの、大学ノートが見つかった。淡いブルーの表紙に「スペイン記」と書いた覚えがあるのに、すでに表紙はない。最初のページに4・24と日付が記され、その右、欄外に平成元年とある。咄嗟に「平成元年のわけがない。間違いじゃないか」と思った。
 娘にも、
「平成元年と書いてあるけど、ちがうの。もっとずっと後の筈よ」
 とまくしたてた。

 というのも、夫と私は昭和63年に初めての海外旅行をしたが、阪急交通社のツアーだった。とっかかりの旅行社に操をたてて、次もその次も同じ阪急の企画に参加したのだと、私の記憶にある。だから、ジャルパックで行ったアンダルシアが、何で、平成元年であるものか。

 ノートには明らかに私の筆跡で平成元年となっている。そうだったんだと素直に認める前に、記憶を優先させたのだ。ほかの資料をあたったら、私の独り合点であった。

 こうした場面に馴れっこの娘たちは少しも驚かない。終始、何をかいわんやの心境であったろう。とこうするうち、娘が言った。
「ロエベの商品を買ってきて欲しいって、女性社員に頼まれたってお父さん言ってたわね」
 初耳である。ロエベにまるで興味のない私の耳を、夫の言葉は素通りしたものと見える。
 ここで私は、
「ロエベにはいかなかったわ、バカラには行ったけど」
 と愚にも付かぬ発言までしたのである。

 もちろんガラス製品を扱うバカラに行ったのは、全く別の旅行で、コート姿の私が写っている写真をおもいだしたからにすぎない。
 バカ丸出しの発言をくりかえしているうち、ようやっとわたしも記憶の一端をとり戻した。娘たちの土産にロエベのバッグを買ったっけ。色も形も目に浮かんできた。私がロエベに行かなかったなんて、まさに嘘っぱちだ。


 さて、私の記憶にもノートの記述にも、はっきりと残っているのは、グラナダのフラメンコである。
「洞窟のフラメンコを見に、デコボコの夜道をゆく。ライトアップされたアルハンブラ(アラビア語で『赤い王城』の意)宮殿が美しく暗闇に浮かびあがる」
洞窟の情景は、今も瞼に鮮明だ。
 ノートには
「まだ多分、とおくらいのかわいい顔立の髪の黒い女の子が、おばあさんのとなりの椅子から、私と目が合うとにっこり笑ってくれた」
 と書かれている。だが、むしろ、汚れた身なりの、そのおばさんが、膝の上の楽器を鳴らしながら、アメリカ人のカップルをじろじろ眺めまわしていた姿の方が、はっきり記憶に残っている。

 スペインに入国するとから
「ジプシーには気をつけろ。金持ちの日本人を集団でとり囲み、盗みを働くから」
 と忠告された。

 流浪の民ジプシーも、現在ではその多くが定住しているそうだが、ナチスによる絶滅政策など、各地で厳しい迫害を受けた歴史を持つ。未だに爪はじきされているらしい。彼らが、かっぱらいもどきに走るのは、無理からぬ行いではないだろうか。ノートにはないが私はひとり、複雑な気持ちに駆られた。

 フラメンコを見に、デコボコ道を歩いたのも、ジプシーのおばさんが薄汚かったのも、演出だったろうか。
 セビリアで教会の「涙のマリア」の像に感動しての帰りみち、夫はころんだ。すると、歩きながらソフトクリームを食べていた青年が、まるで舞台のワンシーンのように救いの手を差しのべた。

 手に触れそうに蘇るアンダルシア!

 30年の月日をはねのけて、わたしに近づいたアンダルシア。ひょっとしてそれは「記憶」の粋な計らいだったかもしれない。

イラスト:Googleイラスト・フリーより

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