A040-寄稿・みんなの作品

清い水槽は誰のため   青山 貴文

 吹き抜けの玄関を入った左側に、大人の背丈の半分くらいの高さの下駄箱がある、その上に水槽(巾60×奥40×深さ30センチ)を置いて、ほぼ5年になる。この水槽の水は、フィルターを通して循環し、かつポンプで空気を水中に補給している。だから、常に酸素の豊富な水流を水槽の中に作っている。


 これまで、この水槽の清掃は、毎年数回行っていたが、だんだん億劫になってきた。ここ数年は年一回しか洗浄や水の入れ替えをしていない。

 5年前、当時小学4年生の孫が、近郊の別府沼の小川から1センチくらいの小魚6匹を捕まえて、この水槽に入れた。
 そのうち4匹は、1年経って子供の拳くらいの大きさに育ち、髭もある。鯉であったら、この水槽は小さすぎる。妻と孫たちと一緒に元の小川に行って、放流してやった。残っているのは2匹だけで、大きさ7センチくらいだ。魚の種類はどうもタナゴらしい。


 数日前から、妻と顔を合わせると、
「青苔が水槽に付着して中が見えないわ。そろそろ清掃しなくてはね」と言う。
「我家の水槽は、水が循環しているから魚は平気だよ」
「清掃しないなら水槽を片付けるから、魚を別府沼の小川に戻してきてよ」
「今ごろ戻したら、自然対応力がないから、すぐ死んでしまうよ」
 と言って、水槽の洗浄を伸し伸しにしていた。
 
 事実、水槽のガラス全面に苔が付着しているが、水流のお陰で水質は綺麗で無臭だ。しかし、玄関に苔むした水槽が置いてあると、はなはだ格好がわるい。特に、来客があると見栄えが悪く、妻はそれが嫌なようだ。

 水温むころになった4月11日、天気予報によると翌日から天気が下り坂になるらしい。水槽の洗浄は、晴天の今日こそやるべきだと重い腰をあげた。 
 3年日記を見ると、水槽の洗浄は、去年5月12日、一昨年4月7日に行っていて決して遅くはない。

 私は昼食後、掃除道具として、水槽の水を吸い上げるサイクロン、バケツ2個、ブラシ類や網などを玄関に揃える。まず、ホース付きのサイクロン全体を水槽に沈めて、出口側のホースをバケツに入れる。
 だが、うまく水が出てこない。一年前は難なく出来たのに、どうも巧くできない。いろいろ試して、やっと水を上手に吸い上げられるようになる。私もまだ捨てたものではない。

下駄箱より低い踏み台に載せたバケツに水槽の水を貯める。バケツの7分目くらいに水が入ると、空のバケツに置き換える。交互にバケツを替えながら、水槽の中の水を殆ど放出する。二匹のタナゴを網で掬いだし、バケツに移す。魚たちは、毎年のことで覚えているのか、バケツの中では静かにしている。

 水がなくなり軽くなったとはいえ、水槽の底に砂粒が入っているので、一人では水槽を上げ下ろしができない。妻と声を合わせ、水槽の両端を両手で持って、下駄箱から玄関の外の三和土(たたき)に降ろす。去年は、確か、自分一人で動かしたはずだ。傘寿を過ぎてから、急に用心深くなった。

 私は水槽のガラスや砂粒を、妻は循環器の部品やパイプあるいはフィルターなどの洗浄をおこなう。私が中腰になって、水槽のガラスに付着したコケをブラシで落とす。
 なかなか落ちない。
 何度も丹念にブラシをかける。また、水槽の砂粒の水を何度も入れ替えて砂粒同志を擦りながら洗浄する。腰が痛くなり、何度も立ち上がって、腰を伸ばす。

 十数年前から、中腰の仕事をすると直ぐ足腰が痛くなる。妻を見ると、水道栓の近くで、彼女専用の折り畳み台に腰かけて、一心にパイプなどの苔を除去している。彼女は、なかなの合理主義者だ。

 洗浄後、水槽を下駄箱の上に設置し、水の循環装置を取り付ける。ホースで水道水を水槽に入れる。水槽の中で、2匹のタナゴが、よりそって泳いでいる。苔むしていたころは、2匹は別々にわかれて物陰に隠れてじっとしていた。

 玄関の水槽回りの空気がよどんでいて暗かったが、洗浄後は、透き通った水槽の回りが明るい清潔な雰囲気に様変わりした。
 清掃はやり出せば、3時間弱で滞りなく終わった。終わってしまえば、腰の痛さも心地よく、何か新しい力が湧いてきた。
 自分の心の内にはいつももやもやとした闇が漂っていた。清掃が終わったとたん、その闇がすっと消えて心身ともにすっきりした。

 水槽の洗浄は、タナゴのため、いや来客のためと思っていた。ここまで言うのは妥当性を欠くかもしれないが、妻のため、いや自分のためであったのか。

 今朝も、透き通った水槽に二匹のタナゴがゆったりと泳いでいる。

              イラスト:Googleイラスト・フリーより

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