【寄稿・詩集「そらいろあぶりだし」より】ハッピーエンド 中井ひさ子
どうしても来れなかった渋谷に来ました。
夕日を滲ませた雑踏は私をもっと独りにします。気付くと貴方といつも待ち合わせた喫茶店の片隅に座っていました。
奈良から東京に出たての私は友達に誘われるまま、貴方の写真展「海兵隊について」を見ました。歴史や政治的なことは解らなかったけれど、兵士たちの瞳に惹かれました。
少年兵士のキラキラ光る目、老兵士の濡れて光る目が、私の中にある目と重なり合ったのかもしれません。
次の日どうしても、もう一度兵士の瞳に逢いたくてそっと見に行き、貴方に見つかり何故かうろたえた私が思い出されます。
最初のデートで半年後に仕事の為二年間スペインに行くと聞かされ、私は顔を上げることができませんでした。時間のある限り逢いました。
身振りよく貴方は「ニカラグアの荒野で小屋の中に入ったら、一面大トカゲが張り付いていて慌てて逃げ出した」ことなどをお酒を呑みながら話し、笑わせてくれました。
スペインからの手紙で、地下鉄の中で君とそっくりな女の人に出逢い、どきりとし感動しましたとの言葉に、ただただ嬉しく何度も読み返しました。
また、昨日は何十キロメートルも走ってから、忘れ物に気付きホテルに引き返しましたに、一緒にため息をつきながらも、顔がほころんでしまいました。
なのに、貴方はスペインからポルトガルに行く道で事故に遭った。愛用のライカと共に。
写真集「スペインの鼓動」を残して。
貴方の電話番号消えません。でも、押せません。鳴り続けるベルの音が恐いから。
外の風がはいって来るたびに振り返っています。
「恋はハッピーエンドでなければだめだよ」
深い目をして、いつもさらりと言ってくれました。
「やあ、ごめん、ごめん、待たせて」
そのドアーを開けてください。
黒皮の椅子も木のテーブルも変わっていません。
イラスト:Googleイラスト・フリーより
【関連情報】
詩集 「そらいろあぶりだし」
作者 : 中井ひさ子(なかい・ひさこ)
定価 : 2000+税
発行 : 土曜美術社出版販売
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