歴史の旅・真実とロマンをもとめて

25歳で老中首座になった阿部正弘(備後福山)の執筆中と狙い

 私はここ6-7年つづいた「阿部正弘」の取材をここで終止符を打ち、単行本「阿部正弘」の執筆をはじめた。
 当初、新聞連載の話しが持ち上がっていた。年一本ずつ、ふたりの連載待ちの作家がいるし、私の掲載は3年先だといわれた。そこで考えた。

 いま芸州広島藩は「広島藩の志士」の人気がたかまっている。この波に乗るべきではないか。

【広島藩は高間省三、備後福山藩は阿部正弘】。広島県内には歴的上の途轍もない大人物がふたりいる。より多くの方々に知ってもらいたい。そこで単行本「阿部正弘」を今年の秋口に発刊を決めて、執筆をおしすすめている。


 阿部正弘とはどんな人物か。

 文政2年10月16日(1819年12月3日)、備後福山藩に生まれた。江戸生まれれ

 天保11年(1840年) 11月8日に 寺社奉行になった。 21歳11か月

 天保14年(1843年) 閏9月11日  本丸 老中に異動。23歳10か月

 天保15年(1844年)7月22日   勝手掛老中(実質・老中首座) 24歳8か月

 弘化2年(1845年)2月22日   勝手掛兼帯のまま、老中首座と就る。25歳7か月
 
 満25歳7か月の内閣総理大臣が、德川250年間の長い保守政治の下で、「鎖国は租法」という強固な観念を破壊し、開国し、近代化へと歩みだす。現代からみれば、貿易立国の祖である。

 現代教科書の歴史すら、ペリー来航は「砲丸外交」で、阿部正弘正は蹂躙されて開国を余儀なくされた。こんな嘘がまだ修正されず、まかり通っている。
 明治政府には都合よく歪曲した歴史である。その延長戦で、日本史の歴史を教えつづけるのはおかしすぎる。
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「阿部正弘のあらまし」

 嘉永5(1852)年オランダの商館長から「別段風説書」が長崎奉行所に届いた。1年後に、アメリカ連合艦隊が日本に来航する。そこにはペリー提督、軍艦名が記載されていた。

 老中首座の正弘は、すぐさま長崎奉行を介して、アメリカ艦隊の軍艦の性能を確認した。西欧はスクリュー船時代なのに、アメリカ艦は時代遅れの蒸気外輪船である。米国海軍力は新しくて実戦経験がほとんどない。ただ、メキシコ戦争で、大砲や小銃は進化している。

 ペリー来航前に、阿部正弘は高性能なプロペラ・スクリュー船の仮見積もりを取る。機をみて発注を出す(後の咸臨丸)。オランダは軍艦を購入しても、操船する海軍将校・海兵を養成する必要があるので「長崎海軍伝習所」の仮建設を提案した。必要ならば、オランダ海軍は協力し、士官の招聘(しょうへい)に応じるとした。

             ☆

 アメリカのベリー艦隊が来航し、江戸湾の湾口(浦賀沖)をいつまでも塞げば、オランダ海軍がジャカルタにいるから、最新鋭の艦隊で、ペリー艦隊を江戸湾から追い出してもよい、と内約をもらう。

 ペリー提督は来航すれば、オランダを意識してか、わずか1週間程度の滞在で、1年後に再来すると早々と出帆していった。
 当時は米中間にもはや郵便定期船が行き来していた。
 ペリー提督に海軍長官の書簡が届いていた。アメリカ大統領が共和党から民衆党に変わった。政権が代われば、海外政策がガラリ変わる。それがアメリカだ。
 新海軍長官から、『植民地的な攻撃や威嚇はしてはならぬ。そういう条約を持ち帰っても、議会の承認は得られない』と厳しい楔(くさび)が撃たれたのだ。

 ペリー提督は当初の計画した砲弾外交が腰抜けになった。沖縄においても、薩摩藩から姿勢蓮を奪って植民地にするつもりでいたが、石炭庫の建設だけに留めた。

 阿部正弘は海外の英文ニュースペーパーから情報を得る国際通だった。と同時に、思い切った人材抜擢主義だった。海軍、陸軍を創設し、洋学所(東大)、医学所、そして極めつけは『富国強兵』を国家の柱においた。

 これは阿部正弘が海外から購入したアダムスミス著「国富論」を、有能な岩瀬忠震に解読させて、国策の柱にしたものだ。

 明治政府は政策の柱に「富国強兵」をおいて、阿部正弘からばくった政策だと、教科書に1行も述べていない。日本国民にまったく教えていないのだ。

 阿部正弘は日露和親条約で、エトロフ・国後島を日本主権の領土であると認めさせ、ロシアのニコライ一世の批准書もとった。現代までも生きている。
 戦後。1945年以降はソ連の侵攻で、施政権は奪われた。しかし、領土そのものは領土主権がある、と阿部正弘によって批准書まで取っている。

 戦後の宰相は数十人いるが、25歳で老中首座になった阿部正弘の実績と比べると、足元にも及ぼないのだ。

 きわめつきは、阿部正弘が大抜擢した外国奉行5人が、絶妙な外交手段で『安政5カ国条約』の決めたことだ。これをもってして日本が決して欧米の植民地にならない、という強烈な条約になったのだ。

 明治以降の教科書は、明治政権を高く見せるために、「阿部正弘」を低く、低く、おさえている。寛永・安政文化は江戸時代で最高級の文化があった。それすら1行も書かれていない。

 官制教科書は、事実は教えない、嘘でごまかす。ここらにメスを入れる。歴史教育を正常化にさせる。5月の10連休は机に向かって意気込んで執筆している。

写真*Googleより

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