A035-歴史の旅・真実とロマンをもとめて

【近代史革命】 軍人政治の史観で、徳川政権を批判する時代は終わった(中)

 日本人はとかく、お上(政府)がいうから従う、教科書に載ったから正しい、メディア(当時は新聞)が伝えるから、信ぴょう性があると信じる傾向にある。

 この無警戒な国民性が、明治維新から太平洋戦争終結まで77年間にわたり、薩長閥を中心にした軍人政治家たちに、逆手に取られた。国民は軍事支配下に置かれてしまったのだ。

 薩長閥の明治の政治家たちは、かつて下級武士だった。かれらは徳川家の為政者よりも自分たちを大きく見せようと、御用学者を使って徳川政権をひどくこき下ろした。


 鎖国日本は、黒船来航のアメリカに蹂躙(じゅうりん)されたものだ。日米通商条約は不平等だ。こんな弱腰の政権で腐敗していたから、自分たち薩長は徳川政権を倒した。これは正しい道だった、という幕末史観で統一した。

 これらは果たして歴史的真実だろうか。

 ペリー提督が来て、日本中の大名・水戸斉昭、島津斉彬(なりあきら)など99%のひとが武勇で打ち払えという主張だった。
 阿部正弘は老中首座にいた。将軍は家定である。阿部老中は、わずか1%の意見、開国論者の高島秋帆(しゅうはん)の意見を選択した。それも高島は長崎町人で、鳥居耀蔵(とりい ようぞう)に陥れられて謹慎(きんしん)の身であった。

 高島秋帆は約10年前まで、長崎出島の海外交易のトップにいた人物であり、オランダを通して諸外国の事情を最も熟知している。それを知る阿部老中は、高島秋帆の謹慎の罪を解き、江川太郎左衛門に預けの身にした。そして、高島の上書を採用したのだ。


『高島の嘉永上書(かえい じょうしょ)』を紹介しておこう。

 わが国が仮にペリー黒船艦隊を一度は打ち払えたにしろ、アメリカはゴールドラッシュの国ですから、軍艦を大量に建造し、第二波、第三波の攻撃を仕掛けてくるでしょう。同盟国のイギリス、フランスにも呼びかけて連合艦隊で日本に襲いかかってきます。となると、国破れて山河在り。

 アメリカは、太平洋航路の蒸気船でつかう石炭と飲料水を求めているだけです。ここで日本側が開国しても、天保時代の薪水令の延長にあるうえ、さして不利益はないはず。むしろ、貿易で、日本が外国と取引したほうが利益は出ます。
 天明・天保の大飢饉にみるように日本は、周期をもって飢餓に襲われます。貿易をすれば、外国から食料が買えます。国民の飢えが救えます。

 このような趣旨の高島上書から、阿部老中首座はまわりの反対を押し切り開国してみせたのだ。
 99%の戦争論者よりも、1%の平和主義者の選択は、途轍もない強い勇気が必要だ。現代人が企業内で、それを置き換えてみれば、1%のジャッジメントがどれほど勇気がいるかわかるだろう。阿部正弘は老中首座の権限で、それをやってみせたのだ。


『日本は植民地になる可能性があった。だから、軍事強化する』
 これは明治政府の詭弁(きべん)である。いまだに信じている日本人は多い。世界史と日本史を結び付ければ、一目瞭然で偽りだとわかるものだ。


 19世紀から20世紀にかけて、欧米の植民地支配は後退していた。資本主義の理念は貿易で儲けるである。あいての国土は奪う必要はない。

 植民地となると、施政する有能な人物の派遣、駐留する軍事費のエンドレスな負担、貧困の社会保障費など、膨大な費用がかかる。デメリットが大きい。さらに、反政府活動に対する騒動・騒擾から、常に軍隊と警察がふりまわされる。

 植民地政策よりも、自由貿易で利益を得る。そのほうがリスクがなくて、国益になる。欧米はしだいにアジア・アフリカからの撤退の検討に入った。もはや、新たな植民地は必要ない。欲しいのは貿易港である。 
 

 日本で国内を二分する戊辰戦争がおきた。欧米6か国・イギリス、フランス、イタリア、アメリカ、オランダ、プロイセン(ドイツ)はみな局外中立を貫いた。

 当時の万国公法(国際法)では、戦争国の国内のどちらにも味方せず、公平な態度をとる、内政干渉をしない法規があった。日本占領はありえなかった。
 そもそも欧米6か国はどこも厄介な植民地・領土支配など背負いたくないのだ。
 それは明治政府の為政者はみな知っていたのに、義務教育化した教科書において、日本は植民地化される恐れがあるから、軍備を強化すると教え込んだ。

 
「国民は弱いし、ごまかせる」というのが、世界の歴史で軍国主義者に共通するものだ。明治政府は富国強兵策を謳(うた)った。
 それは国税収入を軍備優先でつかう最悪の選択肢だった。そして、これ見よがしに10年に一度は戦争する国家になった。朝鮮を植民地にし、やがては満州国を作る。

 災害列島にすむ日本人は、税は治めるが自分たちにさして還元されない。政府は戦費優先で、被災復興の手立てすら、ほとんど受けられなかった。『食べられないものは満州に行け』。これら困窮者の新天地開発が侵略・植民地主義へと加速させた。そして、太平洋戦争の要因となった。


『歴史から学ぶ』。太平洋戦争の直前に軍人政治家が、阿部正弘に学べば、「アメリカはゴールドラッシュの国だから、軍艦を大量に建造する能力がある」。それにたいする戦争回避の行動が取り得たはずである。

 国際連盟の加盟国が一致団結して要求する満州国からの撤退。少なくとも、アメリカとの最終交渉において、真珠湾攻撃よりも、段階的な満州撤退を提示したならば、第二次世界大戦突入は回避できた可能性は十二分にある。


 ところが、当時の内閣や海軍統帥部は勇ましい武勇伝を採用したのである。

 この諸悪の根源は、明治政府の薩長閥の政治家にある。平和開国を選択した勇気ある阿部正弘を弱腰だと言い、歴史を折り曲げたところに原因があるからだ。

 学ぶべき歴史が虚偽だと、重大な破壊におよぶ。太平洋戦争に突入した為政者たちは、阿部正弘老中首座が、アメリカに蹂躙(じゅうりん)されて開国したと信じて疑わなかったのだ。

 いちどは真珠湾を攻撃したが、開戦2年後から、豊かな国の米国の軍艦・空母の建造率は途轍もなく急上昇した。日米の海軍保有比率が75%から25%まで急降下した。
 むろん、航空機の保有機数も同様である。
 これは高島秋帆の嘉永上書どおりである。


 歴史を折り曲げれば、後世に多大な災難を及ぼす。歴史は真実でなければならない。最も顕著な事例である。

                       【つづく】

 写真:上段 戦艦・三笠(横須賀市)

    中断 大和ミュージアム(呉市)

    下段 広島平和公園(広島市)

     いずれも、2017年に撮影

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