みちのくには黄金文化があった。その謎とは? = 玉山金山 (上)
物書きには、なにが大切か。想像力と、記憶力と、好奇心、この三つがややずば抜けていなければ、だめだよ、作家にはなれないよ、とカルチャーの小説講座などで話す。
暗記と記憶はちがう。憶えたままをアウトプットするのが暗記だし、18歳の頃にこれが優れていると、エリート大学といわれるところに入れる。俗にいう、脳内の丸暗記。
記憶とは、体験・経験を心にとどめておいて、複数を組み合わせながらストーリーにして表現できる力。この蓄積の補充が弱いと、いつもおなじ話をする。
印象深い体験ほど、忘れにくい。記憶はみずから作るものである。本は読む側から忘れていく。TVは観ている瞬間はわかった気でいるが、自分自身が出演しないかぎり、ほとんど記憶されていない。
なぜ、ここでこんな話をもちだすか、といえば、日常から、「非日常の世界」にとびだす、あるいは予備知識がなく、見知らぬところに行くと、記憶にしっかり残るからである。
「玉山金山にいってみますか」
と誘ってくれたのは、岩手県陸前高田市の大和田幸男さんだった。
わたしは好奇心から、どんな金山なのか、見てみたかった。ひとこと返事だった。低山が連なる山奥だった。車は、さして変哲もない林道をひたすら登っていく。
「すでに廃坑になっているから、坑道は塞がれています」
残念だが、採掘していても、きっと入坑は許可されないだろう。
検問所の立札に興味をもった。「主殺し、親殺し以外はその罪を問わない」。犯罪者には格好の逃げ場なのだろう。
平泉の栄華の黄金文化は、子どもの頃からの謎だった。どうして、奥州に、きらびやかな中尊寺金色堂などがあったのだろうか。なぜ、源義経が奥州・藤原氏をたよって逃げていったのか。縁戚筋でもあるのか、と。
玉山金山の発見は、わが国で最も早いらしい。天平21年(西暦749年)ころから、砂金で流れ出し、気仙川が黄金色で光っていたようだ。
奈良東大寺の大仏に使われた。
マルコポーロが『東方に国あり、その名ジパンゴという。その国で特に驚くべきことは金の多いことである。その金は掘れども尽きず』とヨーロッパに紹介された。これが玉山金山だという。
欧州の海洋国家の冒険家たちの心をゆすぶり、東方のジパンゴをもとめて、アメリカ大陸の発見につながった。
玉山金山から産出した金は、この山路を下り、海路で石巻へ、そして北上川をさかのぼる。この川は河口から穏やかで、舟は上り下りに適している。そして、平泉で荷揚げする。
「平泉・藤原三代の繁栄は、この旧・竹駒村の「玉山金山」の産金によるものですよ」
大和田さんは地理的、歴史的にくわしく語ってくれた。
【つづく】