A035-歴史の旅・真実とロマンをもとめて

みちのくには黄金文化があった。その謎とは? = 玉山金山 (上)

物書きには、なにが大切か。想像力と、記憶力と、好奇心、この三つがややずば抜けていなければ、だめだよ、作家にはなれないよ、とカルチャーの小説講座などで話す。

 暗記と記憶はちがう。憶えたままをアウトプットするのが暗記だし、18歳の頃にこれが優れていると、エリート大学といわれるところに入れる。俗にいう、脳内の丸暗記。

 記憶とは、体験・経験を心にとどめておいて、複数を組み合わせながらストーリーにして表現できる力。この蓄積の補充が弱いと、いつもおなじ話をする。

 印象深い体験ほど、忘れにくい。記憶はみずから作るものである。本は読む側から忘れていく。TVは観ている瞬間はわかった気でいるが、自分自身が出演しないかぎり、ほとんど記憶されていない。

 なぜ、ここでこんな話をもちだすか、といえば、日常から、「非日常の世界」にとびだす、あるいは予備知識がなく、見知らぬところに行くと、記憶にしっかり残るからである。


「玉山金山にいってみますか」
 と誘ってくれたのは、岩手県陸前高田市の大和田幸男さんだった。
 わたしは好奇心から、どんな金山なのか、見てみたかった。ひとこと返事だった。低山が連なる山奥だった。車は、さして変哲もない林道をひたすら登っていく。

 「すでに廃坑になっているから、坑道は塞がれています」
 残念だが、採掘していても、きっと入坑は許可されないだろう。


 検問所の立札に興味をもった。「主殺し、親殺し以外はその罪を問わない」。犯罪者には格好の逃げ場なのだろう。
 
 平泉の栄華の黄金文化は、子どもの頃からの謎だった。どうして、奥州に、きらびやかな中尊寺金色堂などがあったのだろうか。なぜ、源義経が奥州・藤原氏をたよって逃げていったのか。縁戚筋でもあるのか、と。


 玉山金山の発見は、わが国で最も早いらしい。天平21年(西暦749年)ころから、砂金で流れ出し、気仙川が黄金色で光っていたようだ。
 奈良東大寺の大仏に使われた。

 マルコポーロが『東方に国あり、その名ジパンゴという。その国で特に驚くべきことは金の多いことである。その金は掘れども尽きず』とヨーロッパに紹介された。これが玉山金山だという。
 欧州の海洋国家の冒険家たちの心をゆすぶり、東方のジパンゴをもとめて、アメリカ大陸の発見につながった。


 玉山金山から産出した金は、この山路を下り、海路で石巻へ、そして北上川をさかのぼる。この川は河口から穏やかで、舟は上り下りに適している。そして、平泉で荷揚げする。

「平泉・藤原三代の繁栄は、この旧・竹駒村の「玉山金山」の産金によるものですよ」
 大和田さんは地理的、歴史的にくわしく語ってくれた。

                               【つづく】

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