A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

風景を荒廃させる者  石川 通敬

 最近「日本の美観 遮るもの」という新聞記事が目に入った。
 「清潔なのに風景が荒廃しているような状況を目にしたくない」という記事だ。

 江戸末期から明治初めに来日した多くの外国人が、日本の美しさに魅了された。
「手つかずの自然だけでなく、手入れの行き届いた農地や並木道なども感動の対象になっていた」 
 同記事によると現在「欧州と日本の違いを特に感じるのは電柱と屋外広告だ」と言う。


 電柱については、国も遅ればせながら、2016年に無電柱化推進法を施行している。

 しかし自宅周辺の現状は、やっと目黒通りと山手通りから電柱が無くなった程度だ。一方目黒駅から我が家までは数分だが、この辺りの道路には電柱が林立し、空を見ると蜘の巣のように電線が縦横にはりめぐらされている。

 かねてより私は緑豊かな街に住むことが夢であった。


 そうした街並形成に欠かせないのが、街路樹や住宅に植えられている樹々である。しかし世の中は道路を管理する行政担当者を含め、多様な人々がその管理にかかわっている。
 土地所有者の価値観や、植木屋の都合だと思うが、都会の数少ない木々が、毎年枝を払われ丸坊主にされる事例が実に多ことに私は心を痛めていた。


 そんな問題意識があって私は3年前町内会の理事に加えていただいた。
 昔は少数の戸建て住民により形成された小規模な町会だったが、マンションの増加につれ、今では加入世帯3000、役員も33人と巨大化している。一理事が貢献できる機会はほとんどないままうち過ぎていた。

 私が住む街を貫く細い道路に面した教会には桜と枝垂桜があり、街の風景に潤いを与えてきた。しかし長い間毎年枝が丸坊主に剪定さるので、かねがね残念思っていた。


 ところが10年前から枝落としが抑制さえられるようになったのだ。その結果今では2本とも大きな風格ある樹々に成長、咲き誇る桜が毎年町民を楽しませてくれている。親しくしている教会の信者に聞くと、ある神父さんが、同教会に着任した時、枝を落とすなと命令したのだそうだ。

 年に一度町内会の総会とそれに続く懇親会がある。昨年の秋の会では、私のテーブルに、その年着任したばかりの神父が同席していた。
 この教会は、夏にはビヤパーティーの場所を提供するなど、いろいろ住民に協力的だ。私は日頃からの感謝の気持ちをこめ、思わず神父に声をかけた。

「神父様、私は教会に日頃より感謝しています。特に境内の桜のお陰で、街の要『ドレメ通り』が緑豊かになっています。ありがとうございます」と。


 ところがその途端和やかに談笑していた神父が突然目をむき、顔を真っ赤にして激高したのだ。
「私は法令を守ります。申し訳ありませんが桜の枝落しは実行します」と。

 これには同席して談笑していた一同が、何事かと話をやめ緊張が走った。

 電力会社から道路にはみ出ている枝が危険なので切ってほしいと言われたに違いないと皆が思った。これにはすかさず同じテーブルにいた環境担当の副会長が、
「電線に触れないよう剪定しているケースもありますよ」
 と応酬てくれた。


 その後しばらくたって2本の木を見ると、丸坊主に剪定されずに済んでいた。ささやかだが、これが街の美化に貢献できた私の初仕事になったのだ。

 電柱と屋外広告については、気になっている事例がもう一つある。私は30年前より毎年数回蓼科に行く。
 その経路は長年中央高速道の諏訪インターチェンジを出て、お義理にも美しいと言えない新興市街地を経由してリゾート地に行ったものだ。
 そこは電柱と電線が道路沿いに立てられ、屋外広告も所狭し並ぶ全国どこにでも見られる風景だ。折角のリゾート気分がいつもここで打ち壊わされていた。

 その悲劇を救ってくれたのが10年ほど前の道路の開通だ。諏訪の一つ手前、南諏訪インターチェンジから行ける新しいルートができたのだ。


 料金所を出ると眼前に八ヶ岳連峰がそびえ、背後には南アルプスの山々が連なる。
 新しく開墾された広大な水田と畑とそこここに残る自然林が、東西南北の山裾まで広がる広大な盆地だ。

 その中心部を一本の道が貫く。この農地は諏訪神社の所有する広大な土地を、十数年かけて区画整理したものだ。特に雪の残る八ヶ岳、南アルプスは素晴らしい。
 その景観はスイスを彷彿とさせ、豊かな気分になる。多分それは電柱のない風景のお陰ではないかと感謝している。


 南諏訪からのルートを走り始めて、そろそろ10年になる。しかし残念なことにいつの間にか畑を横切る電柱が立てられ、素晴らしい風景を蝕み始めていることだ。昔仕事で日本来た人々が異口同音に言った褒め言葉は、
「日本の街はチリ一つなく清潔だ」
 であった。

 しかし一度も美しいと言われたことはなかった。
 日本人の清潔好きは世界に自慢でき、嬉しいことだが、一日も早く美しいと言われる国に戻ってほしいものだ。風景を荒廃させる物を除去しようという社会風潮がはぐくまれることを願っているが、年老いてたわごと的コメントしかできない自分が悲しい。


イラスト:Google 写真・フリーより

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