A038-元気100教室 エッセイ・オピニオン

大いなる誤算  林 荘八郎

 湘南海岸沿いの道路を西へ向かってドライブすると、正面に富士山、左手に伊豆半島が横たわる。そしてサイクリングを楽しむ人たちを追い抜く。愛好者が多い。あの爽快感は私も大好きだ。

 次男は自転車好きで、高校に入学するとサイクリング用の自転車をねだった。
 その自転車で、さっそく夏休みに名古屋にある母親の生家を目指して行った。途中、静岡で日が暮れてしまい、通りがかった寺のお堂の軒先を借りて夜を明かしたことや、翌日の夕方に名古屋に着くまでの間の面白かったこと、苦労したことを楽しそうに聞かせてくれたことがある。

 その後、就職した彼が買ったマウンテンバイクが、物置に置きっぱなしになっていた。

 私はそれを借りて、いつか伊豆へサイクリング旅行に出かる機会を楽しみにしていた。目指すは伊豆半島。海岸伝いに一周する計画だ。

 伊豆には伊東、伊豆高原、城ケ崎、赤沢、爪木崎、下田、弓ヶ浜、石廊崎へしばしば出かけた。
 ある時期には家族との海水浴や、友人とダイビングを楽しみに、年に四十回は出かけた馴染みのある所だ。


 六十歳を過ぎて、その計画の実行を思い立った。
 一週間かかっても二週間かかってもいいやと思い、現金と着替えだけを持って、トレーニングウエア姿で横浜から伊豆を目指しその自転車で出発した。まず逗子へ出た。

 国道135号線で西へ向かう。さっそく地魚料理の食堂が目に入る。春の飛び魚は旨いので、「春とび」の名で愛される。昼食は「春とび」の刺し身定食だ。スタートから楽しい。

 平坦な車道をトラックや乗用車と一緒に走る。速いスピードで追い越されるので、危険を感じ左の歩道へ入ろうとした。しかし自転車のタイヤがうまく歩道に上がらなかったらしい。私の身体は車道から歩道へ放り出され転倒した。一瞬何が起こったのかも分からなかった。

 人声で私は数人の人たちに囲まれているのに気づいた。不思議にも身体の何処にも怪我はなく痛みも感じなかった。幸いメガネのフレームを少し破損し、レンズの端にひびが入っているだけで済んだ。自転車にも異常はなかった。
「大丈夫ですか」
 との声に送られ立ち上がって再び走り出した。


 その後、暫く国道1号線を走る。
 しかし自転車にとって走りにくい。愛好者が増えているのにサイクリング専用道路がなぜないのかという不満が沸く。

 小田原から先は伊豆半島を一周する135号線に入る。
 安全のため自動車用の真鶴道路を避けて旧道を進む。車は来ない代わりに道は狭い。最初の登りだ。道沿いはミカン畑だ。菜の花も美しい。高台に着くと眼下に青い海が広がり、その向こうに伊豆大島が横たわる。

 高台から駆け降りるときは楽しい。
 風を一杯浴びながら駆け降りる。快適で楽しいので思わず声をあげる。しかし登りの坂道はきつい。三段式の変速機つきの自転車でも、息が上がる。車で走るときはアクセルを少し踏み込むだけで済むのにと悔しく思う。


 行く先々の民宿での海鮮料理は道中の最大の楽しみにしていた。楽しさと苦しさを繰り返して真鶴に着き、広告看板を頼りに宿に電話した。
 部屋は空いているのに
「お一人ですか。お一人はお断りします」
 思ってもみない返事だ。

 どこも一人客は泊めてくれない。これは予期していなかった。どうにかビジネスホテルを見つけて部屋を確保した。この先でも同じだろうか。初日に計画が狂う。


 翌朝、大好きな伊豆半島を目の前にした。
 いよいよ今日は熱海を通って伊東へ向かうことになる。東海岸のドライブコースは何回も車で走っているのでよく知っている。懐かしくてワクワクした。

 ふと、前日の小田原から真鶴までのコースがきつかったことを思い出した。そしてこれから始まる熱海から伊東に向かう長い上り坂を思い浮かべた。その先の伊東から天城高原への長い登り坂も思い出した。稲取から先も同じだ。


 西海岸はなおさらだ。
 堂ヶ島辺りはまるで山登りのように険しい。思えば伊豆半島の道は上り下りだらけだ。そして最後に横浜へ戻るためには半島の背骨にあたる山並みを横切って越えて来なければならない。いろいろなシーンが次々と頭の中をよぎる。


 湯河原に着くと、伊豆の山々が一層高く聳えて見えた。
 何だか無謀なことに挑んでいるのに気付き、たじろいでしまった。誤算だった。相手は大きすぎる。少年の夢のような計画は、伊豆半島の入り口で諦めた。準備不足を悔やんだ。


 季節外れの台風が発生したという。天気も崩れる予報が出た。前日の転倒の痛みも感じる。未練を残し、強まり始めた南風に背中を押されながら帰途に就いた。

            イラスト:Googleイラスト・フリーより

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