元気100教室 エッセイ・オピニオン

【寄稿・エッセイ】  白薔薇 = 森田 多加子

「白薔薇」という名前の喫茶店は、海岸通りにあった。
 通りに面した入口から入って、細長い建物の一番奥の席につくと、窓から見える景色は、全部海だ。船に乗っているかのような錯覚に陥る。

 20代前半の頃は、(少しもの悲しい気持ちになりたいなぁ)と思う時がたまにあった。そのころの若者が使っていた〈メランコリー〉という言葉に酔っていたのかもしれない。誰かを好きになって一人で悶々としていたからかもしれない。自分を小説のヒロインにして、淋しい感情をつくる。すっぽり嵌ってしまうと、涙なんかも自然に出てくる。

 そんな気持ちになると、仕事を終えてからひとりで「白薔薇」に行く。ここに来ると、海が私の考えていることを察してくれる。ヒロインになりきらせてくれる。
「私は、今、一番不幸な女」
 本などをめくり、淋しい女を演じて大満足だった。

 この喫茶店に初めてきたのは、高校生の時だ。姉とその恋人とであった。日頃の生活と比べると、まるで別世界で、コーヒーの味も、家で入れる代用品まがいのものとは全く違うものだった。カルチャーショックを受けた。

 7歳上の姉は、「白薔薇」近くの、大きなビルの中にある「西華産業」という商社で働いていた。毎朝華やかな服装で家を出る。
 そのころ高価だった絹のストッキングもはいていた。化学繊維がまだ出ていない頃の、肌にピッタリ馴染むストッキングは絹製しかなかった。極細の絹糸で織られたものは、ちょっとしたことで伝線(編み目がほつれること)する。雑に歩いて木の椅子のささくれなどに引っ掛けると悲鳴に繋がる。そういうことで、田舎の町では珍しかったと思う。

 靴下がほつれると、私が修理屋に持っていった。編み目一列の修繕代は高いのに、何列も修理する。修理なのに、透き通った美しいストッキングをはいている姉をもっていることを、誇らしく思っていた。

 姉の行動は眩しかった。家にいても明るい性格で、両親をはじめ、誰からも愛された。私と齢の差もあるだろうが、なんだか遠い世界の人だった。現実ではないような思いだった。
のちに、姉にこの頃の話をすると、

「そうねえ。西華産業に勤めていた女性は、みんな派手だったものね。お給料も良かったし、素敵な男性も多かったからね」
 笑いながら話す50代の彼女は、すでに太ったフツーの中年女になっていた。

 「白薔薇」は門司港駅の近くにある。
 この駅は明治24年に建てられたという。駅舎としては日本で初めての重要文化財になった。東京駅よりも古い建物だ。


 私は門司に25年間住んだが、いつも利用していたはずの門司港駅の素晴らしさには、気づいていなかった。こうして重要文化財になり、遠くから建物を見に来る人たちがいる、という話を聞いて、(へー、あの古くて汚い建物は、そんなに価値があったのか)と、里帰りした折に、改めて見にいった。
 すでにそれらしく、何やら風貌も出ていて、私が知っていた駅舎とは雰囲気が違った。しかし、観光客が押し寄せたのは最初だけで、新幹線ができてからは、地理的に門司港駅はあまり利用されなくなった。折角観光客誘致のために作った駅周辺のレトロ街は、私の知る限りでは閑散としている。
そして、私の心のふるさと「白薔薇」はすでになかった。

 建物が時代や環境で変化していくように、我々人間の顔も生活や生き方によって変貌する。
私自身、たくさんのサークルに関わって動きまわっていた青春時代、子供を育てていた母親の頃、高齢になった現在。年齢の顔ではなく、その時の生活が顔に出ていると思う。


 門司港駅舎は、現在復元工事の真っ最中で、来年2019年3月にはグランドオープンする予定だという。きっとたくさんの人に認められて、自信に満ちた駅舎になることだろう。


        イラスト:Googleイラスト・フリーより

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